不確定申告

tanaka0903

2009-01-01から1年間の記事一覧

そばもおせちもない年の瀬。

michael jackson live in buchrest をのんびりみる。 animaxで北斗の拳を見る。 やばい食い過ぎ。 北斗の拳、最新CGでリメイクして欲しい。まじで。 ももしきの大宮人もむれゐつつこぞとやけふをあすはかたらむ 藤原師氏 もののふのやそうぢ河をゆく水の流れ…

広開土王碑文

百殘新羅舊是屬民由來朝貢而倭以耒卯年來渡海破百殘加羅新羅以為臣民

楠公銅像

自臣祖先友信開伊 豫別子山銅坑子 孫継業二百年亡 兄友忠深感國恩 欲用其銅鋳造楠公 正成像献之闕下 蒙允未果臣継其志 薫工事及功竣謹献 明治三十年一月 従五位臣住友吉左衛門謹識 ※「臣」は小字。 読み下し 臣の祖先・友信、伊豫・別子山銅坑を開きてより、…

上野大震災視察碑文

大正十二年九月十五日 攝政殿下大震災ノ惨状御 視察ニ際シ畏クモ此地ヨ リ御展望遊サレ被害ノ情 況ヲ聞召サル越エテ七歳 昭和五年三月二十四日 天皇陛下此二臨御アラセ ラレ親シク街衢ノ復興ヲ 矕ハセ給フ乃チ石ヲ此處 ニ樹テ以テ 聖恩ヲ不朽 ニ傳ヘントス …

上野西郷隆盛像碑文

西郷隆盛君之偉功在 人耳目不須復賛述前 年 勅特追贈正三位 天恩優渥衆莫不感 激故吉井友實輿同志 謀鑄銅像以表追慕之 情 朝旨賜金佽費捐 資賛此擧者二萬五千 餘人明治二十六年起 工至三十年而竣乃建 之上野山王臺記事由 以傅後 西郷隆盛君の偉功については…

新葉和歌集関連皇族一覧

尊円親王 (1298 - 1356) 伏見天皇の第六皇子。尊円法親王とも。花園天皇の異母弟。 尊良親王 (1310? - 1337) 後醍醐天皇の皇子。中務卿。 守永親王 (1328 - 1397) 尊良親王の皇子。後醍醐天皇の孫。上野太守。 宗良親王 (1311 - 1385) 後醍醐天皇の皇子。中…

wordpress-2.9

がんがんアップグレード。最近はほぼ自動でできるから楽。 古いblogなどもどんどん統合。 もう一生wordpress使って行くんだろうな。 これから他に引っ越すのもめんどくさいし。 アーカイブがものすごいことになってますけど。 2000年くらいに家庭用ゲーム機…

寂しい歌

大方のうつつは夢になし果てつ寝るがうちには何をかも見む(後鳥羽天皇) 現実のほとんどは夢になってしまったので、寝ている間は何を見たらよいのだろうか。 木のもとをすみかとすればおのづから花見る人となりぬべきかな(花山天皇) 出家して木の根元をす…

新葉和歌集に吉野宮を偲ぶ

都だに寂しかりしを雲はれぬ吉野の奥のさみだれの頃 後醍醐天皇 梅雨時ですね。なんかじめじめしてて暑苦しそうです。 後醍醐天皇はやはり怒っています。 茂るとも夏の庭草よしさらばかくてや秋の花を待たまし 後醍醐天皇 庭の雑草を手入れしてくれないので…

新葉和歌集・冬

ものすごく寒そうです。 後醍醐天皇はいつも怒っていて、機嫌が悪そうです。 臥し侘びぬ霜さむき夜の床はあれて袖にはげしき山おろしの風 (後醍醐天皇) 花に見し野辺の千草は霜おきておなじ枯葉となりにけらしも (後村上天皇) こういう歌はやはり京都では出…

新勅撰・恋五・月

目には見て手には取られぬ月のうちのかつらのごとき妹をいかにせむ 湯原王 来ぬ人を月になさばやぬばたまの夜ごとに我はかげをだに見む 紀貫之 湯原王は志貴皇子の子。

新葉和歌集・ほととぎす

南朝の親王たち(宗良親王以外はたぶん若い)が、ほととぎすの鳴く声を聞きたくて大騒ぎしている。 誰かが聞いたとか、今日は初音かとか、聞いたけど一声だけだったとか、 鶏みたいにもっとたくさん鳴けばいいのにとか、 けっこうおもしろい。 ひと声も小塩の…

新古今 摂政太政大臣

新古今に摂政太政大臣と出るのは誰か、よくわからんので、 いろいろ調べてみたのだが、 たぶん九条良経だと思うのだが、実に面倒くさい。 こういうことこそきちんと校訂してほしい。 追記。よく見たら新古今冒頭の歌にだけ、摂政太政大臣良経と書いてあった…

新葉和歌集・砧の音

都人らには、田舎の砧を打つ音が珍しかったらしい。 都には風のつてにもまれなりし砧の音を枕にぞ聞く (宗良親王) 里人の袖に重ねておく霜の寒きにつけて打つ衣かな (前内大臣隆) 聞き侘びぬ葉月長月ながき夜の月の夜さむに衣うつ声 (後醍醐天皇) おしなべて…

新勅撰和歌集・岩波文庫版

戦後の版だけあって校訂・解題ともに至れりつくせり。 歌は、なんとも退屈で眠くなる。 藤原定家一人で選定していて、勅撰を指示した後堀河上皇も完成前に死去しており、 いったいぜんたいどういう目的でどういう基準で選んだのか。 ていうか、「新勅撰」と…

治天2

いろいろ検索してみたが、平家物語には出てこない。 吾妻鏡にも出てこない。 玉葉はデジタルデータが(一部しか)ないので検索できない。 源平盛衰記には何ヶ所か出てくる。 (後白河)法皇は百王七十七代の帝、鳥羽院第三の御子雅仁親王とぞ申しし。治天僅に三…

治天

どうも「治天」という用語は太平記辺りに由来するらしい。 巻 第五 大塔宮熊野落事: 「宮誠に嬉しげに打ち笑はせ給ひて、「則祐が忠は孟施舎が義を守り、平賀が智は陳丞相が謀を得、義光が勇は北宮黝が勢ひを凌げり。此の三傑を以て、我盍ぞ治天下や。」と被…

勅撰和歌集その2

新古今和歌集をざっと読んでみて思ったのだが、 勅撰和歌集を編纂するには、 まず勅撰を言い出す天皇か上皇、 和歌を愛好する近しい皇族数名、 その中の一人か二人は非常に優れた歌人、 後は勅撰・編纂作業を任せうる数名の公家、 これらの条件が揃わないと…

後白河院御製

惜しめども散り果てぬれば桜花いまはこずゑを眺むばかりぞ これはひどい。 後白河天皇は歌が下手だったそうだが、なんちゅうか、即物的過ぎる。 今様が好きだったのね。 花は散りその色となく眺めればむなしき空にはるさめぞふる (式子内親王) ほら。全然違…

式子内親王

かへりこぬむかしを今とおもひ寝の夢の枕に匂ふ橘 (新古今 夏) たが垣根そこともしらぬ梅が香の夜半の枕になれにけるかな (新勅撰 春) なんだかなあ。 夜寝ているとどこかから梅だか橘だかの匂いがしてきて、目が覚めたりするわけだよな。 窓ちかき竹の葉す…

治天の君

いろんなところに、とくにWikipediaで、「治天の君」という言葉が使われているのだが、出典がわからない。「市沢哲「鎌倉後期公家社会の構造と『治天の君』」(『日本史研究』三一四 一九八八年」辺りが初出か。 治天。 なんか引っかかる言葉だ。 治天下大王…

新古今和歌集・岩波文庫復刻版

これまた戦前の版。 後鳥羽上皇の意志によって編纂された勅撰和歌集。 後鳥羽上皇は本文中にただ「太上天皇」としか書かれてない。 注記もない。佐佐木信綱による解題を読めば後鳥羽上皇存命中にできたことはわかるので、 太上天皇が上皇を意味することを知…

新葉和歌集・岩波文庫復刻版

岩波文庫の新葉和歌集も買ってくる。 だいたい源氏物語とか平家物語などはいつでも買えるが、 こういうやつは復刻されて数年で絶版となるので、 今のうちに買っておかないと先々苦労することになる。 値段も七百円程度と特に懐も痛まない。 もちろん地方自治…

読史余論

岩波文庫「読史余論」を読む。 戦前の復刻版で旧漢字、読みにくいが、難解ではない。ゆっくりと読めば良いか。 思うに、新井白石という人は、武士が元々、天皇や公家の政治について思っていたことを、 きっぱりはっきりと言ってのけた。 時の幕閣の一人とし…

新葉和歌集

南朝で編纂された新葉和歌集 がかなりおもしろい。 特に後村上天皇の歌が力が入っててすごくおもしろい。 高御座とばりかかげて橿原の宮の昔もしるき春かな あはれ早や浪収まりて和歌の浦に磨ける玉を拾ふ世もがな 四つの海波も収まる徴しとて三つの宝を身に…

勅撰和歌集

なぜ勅撰和歌集は江戸時代には無くなってしまったのだろうか。 なるほど、応仁の乱で途絶えたわけか。 しかしまあ、「室町時代は政治が貧困で文化が栄えた」的な言い方をすれば、 勅撰和歌集が途絶えたのは文化的には衰退なんじゃないのか。 ねえ。 和歌を詠…

twitter botを作ってみた。

明治昭憲御製集 元データは j-texts。 明治天皇御集 昭憲皇太后御集。

日本で一番偉いのは天皇なのか将軍なのか?

わろた。 難しいよな、そりゃ。 説明しにくい。少なくとも一言では。 たとえば、後白河法皇と平清盛はどちらが偉いかとか簡単に説明できるか。できないだろ。 ま、しかし今上天皇と小沢一郎という意味ではあまりにも明らかだとは思うのだが。そうでもないの…

同時受戒

平清盛と後白河上皇はほぼ同時期に出家して受戒している。 清盛が病気になってまず出家し、そのあと後白河が出家し、 その後同時に受戒している。 康治元年(1142年)、鳥羽法皇と藤原忠実も同時受戒したと言う。 清盛が出家したのは病気療養のためであり、…

平氏にあらざれば人にあらず

「平氏にあらざれば人にあらず」あるいは 「平氏にあらずんば人にあらず」という言い方が世間で一般的なようだが、 平家物語には「此一門にあらざらむ人は、皆人非人なるべし」と表現されている。 源平盛衰記でも「此一門にあらぬ者は、男も女も尼法師も、人…