2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧
劍客 賈島 十年磨一劍 霜刃未曾試 今日把似君 誰爲不平事 「十年磨一劍」は頼山陽のオリジナルではなかったということか。 ただ、「遺恨十年、磨一劍」とアレンジしたところはうまい。
病度両月兪益憂 起臥無聊似俘囚 迎秋不覚秋風冷 窓外只眺片雲流 ふと、終わりの行が李白の詩に酷似しているのに気づいてしまった。 故人西辭黄鶴樓 煙花三月下揚州 孤帆遠影碧空盡 惟見長江天際流 無意識のうちに真似てしまったのだなあ。
オリジナルの『ハイジ』、つまりシュピリが書いたドイツ語の原文では、ペーターは Geißenpeter と呼ばれている。 Peter が洗礼名で本名、Geißenpeter はあだ名で、Geißen というのは羊飼いか山羊飼いのようなものかと思ったが、 独和辞典で調べてみると、Gei…
前九年の役 1051年 - 1062年、 延久蝦夷合戦 1069年 - 1074年、 後三年の役 1083年 - 1087年。 この三つの戦いには関連性があるのか。 延久蝦夷合戦は後三条天皇の時代で、後三条は桓武天皇を思慕し、征夷の意図があったという。 後三年の役は白河天皇即位か…
第28回太宰治賞 一次選考通過作品
角田文衛『待賢門院璋子の生涯』を読んでいて思ったのだが、 白河天皇の最初の后も天皇より11歳も年上で、后が28歳、天皇が17歳。 立太子した年に結婚したそうだ。 これまたかなり無茶な結婚である。 『源氏物語』の桐壺など読むとわかるが、皇子は御曹司と…
孝明天皇の号は「此花」と言うので、その私家集には「此花集」「此花新集」などという名前がついている。 平安神宮編『孝明天皇御製集』だが、その前半部分は若い頃に詠んだ詠草であり、それほどみるべきものはない。 36才で亡くなっており、しかも、元治と…
川越素描の試し読みを増やした。 ほとんど無料で読めるが、完全版を読みたい人だけ有料にしてあるという状態。 今回無料化したのは、長尾景晴の乱のはじめのところと川越夜戦の部分だ。 川越夜戦は、太田道灌の江古田原の戦いを北条早雲が目撃して、孫の氏康…
異国の地より気になった読み物2件ほか 日本のこういうメーカーあがりの技術者なんですけど、30代前後から35歳ぐらいまでの転職市場ではとっても価値のある値段で流通しており、しかも大量に雇うのは外資系ソフトウェアとか韓国系企業で、さらに雇った人たち…
「まし」と「なまし」と「てまし」だが、よく似ている。 「まし」は推量または反実仮想の助動詞。未然形接続。 「なまし」は完了の助動詞「ぬ」の未然形+「まし」。連用形接続。 「てまし」も完了の助動詞「つ」の未然形+「まし」。連用形接続。 「ぬ」と「…
歴史を学べば学ぶほどに筋書きは変わっていく(笑)。 歴史小説を書く人はみなそうなのではないか。 それともしっかり調べた後で書き始めるものなのだろうか (最初から結果ありきで書き始め、調査で証拠固めするだけだから、筋書きは微動だにしない人もいる…
後白河が16歳、懿子が27歳で二条天皇を産んで、懿子はそのまま死んでしまう。この年齢差が事実だとすれば、 おそらく婚姻によって懐妊したのではなかろう。 懿子は親王時代の後白河の女御か何か、つまり身の回りの世話をする女官の一人だったのだ。 いやとい…
Battle of Magentaでは、ピエモンテ・フランス連合軍が59100人、 一方オーストリア軍は125000人とある。 次の Battle of Solferinoでは、138000人対129000人となっている。 ほんとだろうか。 どちらも数字がかなりおおざっぱだ。 ソルフェリーノではオースト…
Half-Life2にCitadelというのが出てくるのだが、 漠然と語感から都市という意味かと思ってた。 しかし、wikipediaなど読むとCitadelは、 要塞という意味であり、特に18世紀から19世紀くらいにかけて作られた、 セメントやコンクリートで固めた、 堡塁を備え…
次田香澄『玉葉集風雅集攷』というものを読んでいるのだが、 この著書の編者でもある岩佐美代子によれば、 岩佐が恩師次田の遺稿をまとめてこの一書がなったことがわかる。 岩佐は今日、京極為兼についての本を書くほぼ唯一人の作家であるが、 なぜ彼女が為…