不確定申告

tanaka0903

2016-01-01から1ヶ月間の記事一覧

察然和尚

宣長年譜 元文4年(1739) 同四年【己未】血脈受入蓮社走誉上人。【伝通院中興ヨリ二十七世之主矣】法名英笑号也 宣長年譜 寛延元年 (1748) 樹敬寺宝延院方丈にて観蓮社諦誉上人蓮阿◎(口編に爾)風義達和尚に五重を授伝し、血脈を授かり、伝誉英笑道与居士の道…

今日日本の詩というものがまったくわけのわからないものになってしまった要因はいくつかあると思う。 イギリスと違ってアメリカという国が文芸の中で詩をあまり重視しないからであるかもしれない。 戦前、近代文芸史における詩の本場はイギリス、フランス、…

今の世の人は頼まじ

学者はただ、道を尋ねて明らめるをこそ、つとめとすべけれ。私に道を行ふべきものにはあらず。されば随分に、古への道を考へ明らめて、そのむねを、人にも教へ諭し、物にも書き遺しおきて、たとひ五百年千年の後にもあれ、時至りて、上にこれを用ゐ行ひたま…

筆者の余技

小林秀雄『本居宣長』補記一 今日遺されている彼の全著作が、筆者の余技を出ないものという事であれば、田中さんが言われたように、プラトン研究家は困ったことになる。プラトン自身はどうでもいいと思っていた文章から、その明さなかった哲学思想の核心とな…

恩頼図

小林秀雄『本居宣長』第四章 佐佐木信綱によって発見された本居大平による「恩頼図」というものがあり、 これに宣長の学問の系譜が記されている。 大平とは宣長の弟子の稲懸大平という者だったが、宣長の実子・春庭が眼病で失明して以来、 養子となった人。 …

小林秀雄『本居宣長』

小林秀雄『本居宣長』をまたしても読むことにした。 今度は徹底的に読むつもりだ。 以前に書いたもの。 「本居宣長」連載、 小林秀雄 源氏物語、 池田雅延氏 小林秀雄を語る。 小林秀雄は1902年生まれ。 『本居宣長』は 1904年創刊の月刊の文芸雑誌『新潮』…

竜田川と神奈備の杜

万葉集には「たつたがは」が一つも詠まれていないという宣長の指摘は大発見であった。 古今集ですでに竜田川が奈良の龍田山に流れる川であるという誤解が生まれていたのにもかかわらず。 その歌はもともと読み人知らずだったはずだが、 柿本人麻呂や平城天皇…

語釈は緊要にあらず

小林秀雄『本居宣長』二十三 契沖も真淵も、非常に鋭敏な言語感覚を持つてゐたから、決して辞書的な語釈に安んじてゐたわけではなかつたが、語義を分析して、本義正義を定めるといふ事は、彼らの学問では、まだ大事な方法であつた。ところが宣長になると、そ…

立田川と水無瀬川

本居宣長は玉勝間(巻一、巻二)で、立田川というのは今の水無瀬川であると言っている。 竜田川というのは大和国竜田山を流れる川であるというのが定説で、 業平の伊勢物語第百六段に「昔、をとこ、みこたちのせうえうし給ふ所にまうでて、たつた河のほとり…

短篇小説講義

筒井康隆の『短篇小説講義』だが、 私が最近読んだ「小説の書き方」の本の中では一番わかりやすくて面白かった。 小説の新人賞というのは最近ではみなだいたい短篇であって、 それはつまり応募者がたくさんいるから、 あんまり長いの書いてこられたら迷惑だ…

内在律

筒井康隆の『短篇小説講義』p. 10 小説とは、何を、どのように書いてもよい自由な文学形式である。 小説 == novel とは何か自由なもの、新しいもの、 それまでの戯曲や詩などの文芸形式を呪縛していた「外在律」に縛られない文芸形式だと、 筒井康隆は断言す…

擬人化

『文学部唯野教授』 p. 101 この人は「海霧(ガス)の擬人化というあざとい手法」などと書いているところから、海霧(ガス)の擬人化ということだけはわかっていて、それがわかったとたん、それに感情移入することをやめちゃったの。「あざとい手法だ」と思…

文学部唯野教授4

31 批評は小説を切りきざんで分析したりしちゃいけない。まずどっぷりと思う存分、詩的体験に身を浸しなさい。味わいなさい 『されば、緒の言は、その然云フ本の意を考へんよりは、古人の用ひたる所を、よく考へて、云々の言は、云々の意に、用ひたりといふ…

文学部唯野教授3

『文学部唯野教授』を読み返してみようと思ったのは、 『短編小説講義』を読んでみて、すごくわかりやすかったからだ。 やはり筒井康隆という人は他の人に比べるとはるかに深く良く理解しており、 またわかりやすく説明できる人だなと思った。 『文学部唯野…

千載集

千載集―勅撰和歌集はどう編まれたか セミナー「原典を読む」 千載集がなぜあのような慌ただしい時期に編纂されたのかということについて考察している本なのだが、 結論は結局後白河院が、保元の乱から平家滅亡までの鎮魂のために作ったのだということらしい…

雲居に紛ふ沖つ白波2

雲居に紛ふ沖つ白波再説 高橋睦郎「百人一首」p.152 わたの原漕ぎ出でて見れば久かたの 雲ゐにまがふ沖つ白波 法性寺入道前関白太政大臣こと藤原忠通。 詞花集「新院位におはしましし時、海上遠望といふことをよませ給ひけるによめる」 保延元(1135)年4月…

文覚の歌

白洲正子「花にもの思う春」p.173 世の中の なりはつるこそ かなしけれ ひとのするのは わがするぞかし 文覚というのは無学文盲の無茶くちゃな修行僧だと思っていたら歌を詠んでいてしかもそれが「明月記」に載っていて、 定家が この歌心こもりて殊勝なり、…

小林秀雄の芸

白洲正子「花にもの思う春」p.64 小林秀雄には「飴のやうにのびた時間」「一枚の木の葉も、月を隠すに足りる様なものか」といった、一言でずばりと真髄を貫く言葉があり、愛読者はみな空で覚えたものなのに、 「本居宣長」にはそんなものは一つもない。「批…

山茶

山茶(やまちゃ)というのが九州や中国地方には自生していて、焼き畑などやるとまず山茶が発生する、 播州では、山茶を根元から切って持ってきてその葉を干して煎じて飲む、 明恵が栂尾に茶を植えたなどというのは、中国伝来の茶の木を植えたのではなく、 中…

新嘗祭

勤労感謝の日はもとは新嘗祭だが、 旧暦では霜月の第二卯の日となっていた、という。 霜月というのは必ず冬至が入る月であるから、この新嘗祭というのも、 もとはといえば収穫の祭りというよりは、冬至の祭りであったはずだ。 この太陽が最も低くなり夜が一…

父の歌など

柳田国男『故郷七十年』「父の歌など」 はかなくも 今日落ちそむる ひとはより 我が身の秋を 知るぞかなしき ここで父とは柳田国男の父・松岡操のこと。 彼もまた桂園派の歌人であった。 「ひとは」とは普通に考えれば「一葉」なのだがこれには「一歯」がか…

頓阿の草庵集

今でもよく憶えてゐる。われわれ松浦先生の門下で作つてゐた紅葉会では、よくいくらか冗談半分に「何々の恋」とか「寄する恋」、例へば「虫に寄する恋」とか「花に寄する恋」とかいふ題で詠ませる習慣があつた。深窓の処女といへども歌の練習にこれを作つた…

史学への反省

柳田国男『故郷七十年』の続き。 「史学への反省」という文で 日本の史学が遅れてゐることの理由の一つは、漢字を憶えることが史学に入るための困難な関門になつてゐることであると思ふのである。漢字を憶えるために苦労をするため、やつと他人が書いたもの…

故郷七十年

大塚英志『キャラクター小説の作り方』の続きなのだが、 この中に「柳田国男による古典文学批判」として出てくるのは、 「頓阿の草庵集」というごく短い文であり、 『定本 柳田国男集 別巻3』に載っている。 この『別巻3』は『故郷七十年』『故郷七十年拾遺…

大塚英志『キャラクター小説の作り方』

非常にためになった。 親切に書かれた良い本だと思う。 ところどころ反論したいところはある。 彼が「キャラクター小説」と言いたいところのものは今の「ラノベ」である。 彼がこの本を書いた2003年当時には「ラノベ」という言葉はなかった。 ラノベや漫画や…

高橋源一郎『一億三千万人のための小説教室』

もちろん、小説が嫌いな小説家はいないはずです(たぶん)。 さて。 私が小説家かどうかはひとまずおいて、 私はどちらかと言えば小説が好きだから小説を書いているわけではない。 私は最初は画家になりたかった。 それから歌人になりたいとも思った。 画家…

言文一致

たまたまヒマがあって図書館で「小説の書き方」みたいな本に一通り目を通したのだが、 どれもだいたい明治の頃に「言文一致」運動というのがあってそれまでは書き言葉と話し言葉の二種類があったのだが、書き言葉が捨てられて話し言葉で小説を書くようになっ…

無敵ヒーローとボスキャラの様式美

無敵設定の主人公ってのはよくあって、 また、無敵設定の敵キャラというのもよくいる。 また普段は普通だが無敵モードになると死なないとか。 で、無敵と無敵が戦ってどちらかが勝ちどちらかが負けるのはまさに矛盾なので、 いろんなお約束が考えられてきた…

世界で最も新しい変化は西アジアから生まれる

西洋近代とイスラムというのは、どちらも同じものなんだよ。 イスラムがたどったのと同じことがこれから近代西洋文明に起こる。 イスラムは近代西洋を導入しようとして結局は失敗した。 そりゃあそうだ、近代西洋はイスラムのコピー(おそらくは劣化コピー)…

近代とポストモダン

石原千秋『教養としての大学受験国語』というのを読んでいるのだが、この著者によれば世の中の評論というのは、 現実を肯定的に受け入れる保守的な評論 未来型の理想を掲げる進歩的な評論 現実を否定して過去を理想とするウルトラ保守的な評論 の三種類しか…