新葉和歌集関連皇族一覧
- 尊円親王 (1298 - 1356) 伏見天皇の第六皇子。尊円法親王とも。花園天皇の異母弟。
- 尊良親王 (1310? - 1337) 後醍醐天皇の皇子。中務卿。
- 守永親王 (1328 - 1397) 尊良親王の皇子。後醍醐天皇の孫。上野太守。
- 宗良親王 (1311 - 1385) 後醍醐天皇の皇子。中務卿。征東将軍とも。
- 最恵法親王 (? - 1382) 後醍醐天皇の皇子。
- 懐邦親王 後醍醐天皇の皇子。上野太守。懐那親王とも。懐良親王(征西将軍)と同じか?
- 貞子内親王 後醍醐天皇の皇女。
- 幸子内親王 後醍醐天皇の皇女。
- 祥子内親王 後醍醐天皇の皇女。
- 後村上天皇 後醍醐天皇の皇子。南朝第二代。
- 長慶天皇(1343-1394)後村上天皇の第一皇子。南朝第三代。
- 後亀山天皇(1347?-1424)後村上天皇の第二皇子。南朝第四代。
- 惟成親王(?-1423)後村上天皇の第三皇子。式部卿。
- 泰成親王(1360?-?)後村上天皇の第四皇子。太宰帥。
- 師成親王(1361-?)後村上天皇の第五皇子。兵部卿。
- 覚誉法親王 花園天皇の第一皇子。
- 仁誉法親王 恒明親王の皇子。亀山天皇の皇孫。二品。
- 果尊法親王 ???
- 深勝法親王 ??? 後村上天皇の皇子 (恒明親王の皇子、亀山天皇の皇孫とも)。二品。
- 儀子内親王 花園天皇 皇女。
- 覚誉法親王 花園天皇 皇子。
- 聖尊法親王(1303-1370)後二条天皇の第四皇子。二品。
あまりにも謎。あまりにも闇。 尊良親王は後醍醐天皇の皇子であるが、越前国(福井)で戦死した。 しかし、明治になってから、 後醍醐天皇から譲位され東山天皇と称したと主張する人が居て、 北陸朝廷と言い、 吉野朝廷は偽装であるとする。 また尊良親王の皇子である守永親王は興国天皇と称したと言う。 まあ、明治になって南朝が正統とされたことによって、 南朝の皇子たちは日本中あちこちに転戦してたので、 その子孫が残ってる可能性があって、 しかも南朝の歴史はあまり正確には残ってないから、 自称天皇というのがぼろぼろ出てきたということだろうな。
なるほど、後南朝というのもあるんだな。
北畠親房は新葉和歌集には「中院入道一品」という名前で出てくる。 ぱっと見、そんなすごい歌ではない。 宗良親王の私家集「李花集」にも北畠親房の歌が多く採られているという。 さて、どうすれば読めるのだろうか。後亀山天皇御製は「宗良親王千首」奥書にもあるらしい。
後醍醐天皇の妃で後村上天皇の母、新待賢門院・阿野廉子の歌もちょっと面白い。
北条氏の末裔・北条時行は南朝の一武将として戦うことを許されて、 宗良親王とともに遠江の井伊高顕が治める井伊城に入り、 音信不通になったそうだが、 要するに南朝の武将は北条時行にしろ宗良親王にしろ、ろくな記録が残ってないということだろう。 必ずしもどこかで野垂れ死にしたというわけではなさそうだ。
上野太守とは上野国の国司ということだが、親王なので太守と言うらしい。 中務卿、太宰帥なども同様に親王のための名目的な役職らしい。
懐邦親王は後醍醐天皇の皇子だとあるが、 後醍醐天皇の皇子はの名はみな漢字二字で二字目は「良」であり、 懐邦親王は唯一の例外。 また新葉和歌集には懐那親王とも書かれている。 一方で鎮西方面で菊池市とともに戦った懐良・征西将軍という親王も居る。 極めて紛らわしいのだが、 実は懐邦は懐良なのではないか。
また後村上天皇でさえ、義良、憲良の二つの名前がある。 法親王もいて、皇子の人数もいかにも多く、重複している可能性もあるよな。