不確定申告

tanaka0903

2010-07-01から1ヶ月間の記事一覧

呟葉和歌集

呟かれた歌改め呟葉和歌集だが、 google adsense の広告の選ばれ方がなかなか面白い。 自費出版だとか、美術品骨董だとか、俳句や短歌の教室だとか。 英語版と日本語版を分離した。

仮名遣意見2

假名遣を國民一般に行はうと云ふことは不可能であると云ふ論があります。此の方の側は大槻博士の御論の中にありました。其の中の最も有力なる論據として仰しやるには、斯うして委員が大勢居るけれども委員の中で一人でも假名遣を間違へないものはないと云ふ…

鴎外の仮名遣意見

假名遣意見 森鴎外。 すばらしいね、こういうものがさくっと検索してただで読めるのだから。 この中で、本居宣長のことは、本居とか、本居先生とかで出てくるのだが、 扨(さて)古學者が假名遣のことをやかましく論じて居るのに、例之ば本居の遠鏡(とほか…

藤原氏も徳川氏も大差ない。

思うに、徳川氏だって、武力によって強権的に統治していたのではなく、 常備軍を撤廃し、諸侯の軍事行動も極力抑制・抑圧し、 武装解除に近いことをして、 鎖国やキリスト教の禁令などによって生産性や社会的な発展を犠牲にし、 天皇家の権威を飼い慣らして…

雅楽・掃部

酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)や井伊掃部守(いいかもんのかみ)が読めるかどうかなんて枝葉末節だと思わんかね。 ばかばかしい。 ああなんだ、子母沢寛か氷川清話か何かの受け売りなのか。ふーん。

歴史的仮名遣い2

契沖仮名遣いという言い方にならえば、 明治政府が普及させ、昭和の敗戦まで国語の「正書法」として確立していた仮名遣いは、 「宣長仮名遣い」とでも言うべきものだと思う。 おそらくそのくらい、宣長の影響は大きい。 坂本龍馬の仮名遣いもかなりへんてこ…

歴史的仮名遣い

思うに、江戸時代の人は、かなりいい加減な仮名遣いで文章を書いていたわけだ。 上田秋成は生涯を通してへんてこな仮名遣いだった。 宣長は30才くらいまではへんてこだった、 だが、賀茂真淵と出会い国学を学ぶようになって、ようやくまともな仮名遣いになっ…

岩波文庫版排蘆小船

岩波文庫版排蘆小船は底本が戦前岩波書店から出た宣長全集。 普通に普及しているのは戦後に大野信が編集した筑摩書房版の全集なのだが、 やはり同じ岩波から出すと言う関係で戦前のものを底本にしたのか。 カタカナがひらがなに改めてあり、読みやすい。 歴…

肝大小心録

岩波文庫版上田秋成「肝大小心録」を読む。 戦前の復刻。かなり珍しいもの。 天にさまざまあるはいかに。 儒・仏・道、また、我が国の古伝に言う所、ことごとくたがへり。 天と仰ぎてのみにもあらず。 天禄・天資・天命・天稟など儒には言うなり。 仏は天帝…

宿坊

司馬遼太郎は、祇園という町が挙げて長州を贔屓にしていたというのだが、ちょっと妄想入ってるんじゃないか。 長州征伐で京都から排除されてもかまわず匿い続け、鳥羽伏見の戦いで長州の紋の入った旗を見て涙を流して喜んだとか。 まあ、そんな人も居たかも…

朱塗り

私は九州で生まれ育ったのだが、 九州には養蚕があまり発達しなかったせいか、 お稲荷さんの祠があまり無い。 従ってあのような赤い鳥居というものを見たことがなかった(祐徳稲荷に幼い頃行ったはずなのだが、鮮明に覚えてない。とにかくひたすら長い階段の…

宣長の違和感

ドナルド・キーンや司馬遼太郎が宣長の文章に違和感を感じているという件だが、 これはやはり何かの勘違いなのではないかと思えてきた。 もし宣長が、普通の学者のように、 古今以降新古今的な言葉遣いだけを用いていたら、たぶんキーンも司馬も違和感は感じ…

ドナルド・キーン3

ドナルド・キーンの「足利義政」を読んだ。 ハードカバーだが、文章量はさほどない。 それをさくっと読んだ感想だが、やはり、この人自身が、義政の東山文化にしか興味がなく、 というか東山文化に興味をもったために義政に行き付き、その施政に疑問を持ち、…

ドナルド・キーン2

続き。 ドナルド・キーンは 宋代の美学は、日本に非常に影響を与えています。 和歌の場合でもそうだと思いますが、特に京極派とか冷泉派の和歌の場合は、圧倒的に影響が強いですね。 そもそも定家の場合でもそう言えるのじゃないですか。 などと言っている。…

ドナルド・キーン

ドナルド・キーンという人はまだ存命中の方のようで、88才くらいだろうか。 源氏物語か何かを研究して海外に紹介した人、というようなイメージであっているだろうか。 「日本人と日本文化」という本で、司馬遼太郎と対談しているのだが、 何かずいぶんへんて…

草加

出張で草加まで行く。広々としている。綾瀬川。ほとんど起伏無く真っ平らな、典型的な武蔵野。 武蔵野の広さを実感するには、浅草から日光までじっくり東武に乗ってみるとわかるだろう。 これが神奈川だと、だいたい川沿いには深い谷ができる。 崖にすらなっ…

あせも

海水浴に行った翌日、あせもになってしまった。 因果関係がわからんが、記録しておく。 この時期確かにあせもになりやすい。気をつけねば。

龍馬の手紙・新葉集

慶応元年9月9日付坂本乙女・おやべ宛。 たしかに龍馬の手紙の中に新葉集についての言及がある。 是よりおやべどんに申す。 近頃御面倒おん願いに候。どうぞ御聞きこみねんじいり候。 おやべとは龍馬の乳母らしい。乳母に面倒な願いが二つあるという。 そもそ…

龍馬の歌

けっこうたくさんあるんだな。 歴史的仮名遣いに直したりした。 春夜の心にて 世と共にうつれば曇る春の夜を朧月とも人は言ふなれ 月と日のむかしをしのぶみなと川流れて清き菊の下水 湊川で詠んだものらしい。「月と日の」は謎。日月旗(錦の御旗)の意味か…

駿府城

たまたま静岡出張で、初めて行くところだったのであちこちぶらぶらした。 なんか典型的な県庁所在地という感じ。 しかし雰囲気は城下町というよりは、門前町の長野に似てる。 一応東海道の宿場町だったはずだが、 旧街道と、浅間神社の表参道が交わるあたり…

関東

司馬遼太郎全集第50巻評論随筆集「歴史と視点」の中の「石鳥居の垢」あるいは「私の関東地図」という文章で、彼が戦車部隊に居たときのことを書いている。 彼らの部隊は満州に居たが、戦争末期、ソ連との不可侵条約を「わらをもつかむ気でソ連の信義というも…

甲州街道

「街道を行く」の「甲州街道」で、いきなり冒頭 「武蔵の国」というのは、いうまでもなく今の東京都のことである。 などというぼけをかましている。 なぜ編集者も注意しないのだろうか。 「武蔵国」とはいうまでもなくおおよそ今の東京都と埼玉県を合わせた…

中央と地方 いわゆる都鄙意識について

文藝春秋に昭和57年に掲載された司馬遼太郎の文章で、 「中央と地方 いわゆる都鄙意識について」というものがある。 これが司馬遼太郎の文章かというくらいずさんな論理で書かれている。 たとえば、 そのおそるべき習風は、いまの若い人にも(にもどころかい…

国造

司馬遼太郎の「歴史と風土」という文章(昭和46年)に、 大化の改新があっても地方の豪族、国造が残った。 だから天皇というのは最初から権力ではなくて権威だった、と言っているのだが、これはおかしな結論だ。 彼は、大化の改新の頃も、平安朝も、その後の…

大義名分論

昔の人は大義名分論というものに、真剣に悩んだのだ。 天皇はなぜあんなにまずい政治をするのか。 逆賊と思える身分の低い連中がなぜあんなに良い政治をするのか。 良い政治をする逆臣と、悪い政治をする天皇と、どちらが正しいのか。 そもそも天皇とは何か…

義経

司馬遼太郎の「義経」をさくっと読んだ。 まず、一番の大きな問題は、一ノ谷の戦いを、司馬遼太郎は歴史的事実とみなしているらしいのだが、 たぶん一ノ谷の合戦は平家物語のフィクションなのだ。 なぜなら当時の公家の日記にはまったく記録がないからだ。 …

象徴天皇

司馬史観の中でも、 空気のように当たり前と思われているのが、 天皇は今のように権力を持たず権威だけを持っている状態が「正常」であり、 後鳥羽上皇や後醍醐天皇や明治天皇のように実権を持っている状態が「異常」なのだ、 という説だ。 司馬遼太郎は天皇…

伊達宗広の歌

陸奥宗光の父は伊達宗広、宗広は紀州藩藩士。本居大平に学ぶとある。 大平は本居宣長の養子。 本居家は宣長の後、実子の春庭の家系と養子の大平の家系に分かれる。 松坂に住んだのが春庭、和歌山に住んだのが大平だったらしい。 だから、大平はずっと和歌山…

カピタン

カピタンはポルトガル語のCapitão だと wikipedia にはある。英語だと head とか chief とか boss という意味だろう。 こないだ出島のカピタン屋敷に行った。 畳敷きにテーブルと椅子を並べて西洋風の晩餐をやったらしい。 赤ワイン。 こういうところで酒を…

北条早雲

司馬遼太郎の「歴史と風土」を読んでいるのだが、「せまってこない風景」という文で、 北条早雲、後北条氏の祖、について 小田原から伊豆の山河が、たとえばこれを書こうというとき、どうしてもピンとこないんです。 とか言っている。 そりゃまあ司馬遼太郎…