不確定申告

tanaka0903

和歌

歌詠みの死滅

和歌を詠み始めの頃は、やまとことばだけで、五七五七七に詠むのがとても難しいと感じる。 だけどその習慣を10年、20年と続けていくうちに、自然に歌が詠めるようになる。 今私はシラフのときにはほとんど歌を詠まないが、なぜか酒に酔って知性や理性という…

和歌の道は花鳥風月から入るべし

根岸に住む人に歌を見てくれと言われて見た。 春の朝うぐひすの声は聞かねども根岸の里はのどかなりけり 人の歌を添削するというのは難しいものだ。 私なら、 うぐひすのはつねはいまだ聞かねども根岸の里に春はきにけり とでも詠むだろうか。 特段良くなっ…

湯原王贈娘子歌二首 志貴皇子之子也 04-0631 宇波弊無 物可聞人者 然許 遠家路乎 令還念者 うはへなき ものかもひとは かくばかり とほきいへぢを かへさくもへば あるいは、 うはべ無き ものかも妹は かくばかり 遠き家路を 還さく思へば あいそのない人だ…

在原元方

だんだん見えてきた。 古今和歌集編纂の主役は、業平・棟梁・元方の在原氏三代と紀貫之。 伊勢物語は業平・紀有常コンビが中心になってできあがったもの。 古今集は元方・貫之。 棟梁は中継ぎのようなもの。 棟梁と貫之は寛平御時后宮歌合(宇多天皇の母班子…

伊勢物語の真相2

66、67、68 謎 69、70、71、72 例の伊勢斎宮の話。 ちはやぶる 神のいがきも 越えぬべし 大宮人の見まくほしさに 恋しくは 来ても見よかし ちはやぶる 神のいさむる 道ならなくに これはもともと万葉集11-2663 千葉破 神之伊垣毛 可越 今者吾名之 惜無 ちは…

伊勢物語の真相

『古今和歌集の真相』を手直ししてて、『伊勢物語』が気になり始めた。 『伊勢物語』125段、藤原定家版以外なく、つまり、定家までどのような形で伝承してきたかすら、わからないということだ。 それでまあ、紀氏の家に紀有常の物語が残り、また藤原高子と遍…

十一日の月

新月は日没時に西の地平線上に出てすぐに沈んでしまうので、実際には見えない。 目に見えるようになるのは「三日月」からだが、夕方西の空に出てすぐに沈んでしまう。 十五夜、満月は夕方東の空から昇り明け方西の空に沈む。つまり夜中見えるということだ。 …

『伊勢物語』の主人公は紀有常ではなかろうか。

そして『伊勢物語』の筆者は紀氏の誰か、有常から昔話を聞けただれかだろう。 紀貫之である可能性もある。 貫之は『土佐日記』で渚の院に言及しているが、 彼は当然、渚の院における惟喬親王や在原業平、そして紀有常の故事を知り得る立場にいた。 紀有常は…

宣長が養子縁組みして離縁した件

神社は氏子、寺は檀家という。 しかし伊勢神宮では檀家という。 この伊勢神宮の檀家を束ねるのが御師。 宣長は伊勢山田妙見町の今井田家に養子に行った。 『宣長さん』によれば、今井田家は紙商で御師。 氏子というのは村の神社があって、その村に住んでいれ…

紀淑望

古今251 「秋の歌合しける時によめる」または新撰和歌12。 紅葉せぬ ときはの山は ふくかぜの おとにや秋を ききわたるらむ 和漢朗詠集巻頭。 逐吹潛開、不待芳菲之候。 迎春乍変、将希雨露之恩。 内宴進花賦 五言でも七言でもない。なんだこれは。 吹(かぜ…

源満仲

源満仲にも一つだけ和歌が残っている。『拾遺集』 清原元輔 いかばかり 思ふらむとか 思ふらむ 老いて別るる 遠き別れを 返し 源満仲朝臣 君はよし 行末遠し とまる身の 待つほどいかが あらむとすらむ 清原元輔を源満仲が送った歌。 どうも、清和源氏初代、…

源頼光

『拾遺集』 女のもとにつかはしける なかなかに 言ひもはなたで 信濃なる 木曽路の橋の かけたるやなぞ 『玄々集』、または『金葉集』三奏本にも出る。 かたらひける人のつれなくはべりければ、さすがにいひもはなたざりけるにつかはしける なかなかに 言ひ…

後三条院御製

『後拾遺集』をながめていたら、後三条天皇の御製が三つあることに気付いた。 皇后宮みこのみやの女御ときこえけるときさとへまかりいでたまひにければ、そのつとめてさかぬきくにつけて御消息ありけるに 後三条院御製 まださかぬ まがきのきくも あるものを…

うけらが花

加藤千蔭「うけらが花」 貞直卿より季鷹県主へ消息におのれがよみ歌のうち二首殊にめでたまへるよしにてみづから書きてまゐらせよとありければ書きてまゐらすとて 武蔵野や 花かずならぬ うけらさへ 摘まるる世にも 逢ひにけるかな 富小路貞直。千蔭の弟子。…

ますかがみ

増鏡を頭から読み始めたのだが、 見渡せば やまもとかすむ 水無瀬川 ゆふべは秋と なにおもひけむ これだが、 水無瀬離宮を建てた記念に、その障子絵にふさわしい歌を、何ヶ月も推敲してこしらえたもの、 典型的な屏風歌であって、当座の実景を詠んだのでな…

昔の(公家の)女性はいきなり(高貴な)殿方から恋歌を詠みかけられたときのために、 即興で気の利いた歌を詠み返すために日々修業しなくてはならなかったと柳田国男が書いていたのだが、 いかにも桂園派の歌人の生き残りの彼が言いそうなことだが、 「とは…

歌経標式

歌経標式序考 臣濱成言。原夫歌者、所以感鬼神之幽情、慰天人弓懸心者也。 韻者所以異於風俗之言語、長於遊樂之精神者也。 【臣・藤原濱成が申し上げる。 そもそも歌は、鬼神の幽情を感じ、天人の恋心を慰めるものである。 韻は、風俗の言語と異なり、遊学の…

主有る詞(ぬしあることば)

特定の個人が創始した秀句で、歌に詠み込むのを禁じられた句。 幽斎『聞書全集』 主有る詞とは 春 かすみかねたる(藤原家隆) 今日見れば 雲も桜に うづもれて かすみかねたる みよしのの山 うつるもくもる(源具親) なにはがた かすまぬ浪も かすむなり …

日本歌学大系 別巻

久曾神 昇 編纂 1 『難後拾遺抄』源 経信/著 『綺語抄』藤原仲実/著 『和歌童蒙抄』『五代集歌枕』藤原範兼/著 2 『袖中抄』顕昭/著 『色葉和難集』 『歌語索引』 3 『万物部類倭歌抄』藤原 定家/著 『八雲御抄』順徳天皇/著 『和歌手習口伝』 4 『万葉集…

日本歌学大系

佐佐木 信綱 編纂 1 『歌経標式真本』藤原 浜成/著 『歌経標式抄本』藤原 浜成/著 『倭歌作式』喜撰/著 『和歌式(孫姫式)』孫姫/著 『石見女式』 『新撰万葉集序』菅原 道真/著 源 当時/著 『古今和歌集序』紀 貫之/著 紀 淑望/著 『新撰和歌序』…

京極派の末裔2

話を整理してみると、 鎌倉末期から南北朝、室町中期までは、二条派と京極派が共存していた。 ときに一方が勅撰選者となり、またとき他方が代わった。 宣長は二条派を正風と呼び、京極派を異風と呼んだが、それは二条派の立場での見方。 正風とは為家以後、…

京極派の末裔

中根道幸は伊勢で「伊勢文芸」を研究し、そのルーツが北村季吟であることを突き止めた。 北村季吟が遺した伊勢文壇とでもいうべきものが本居宣長という歌人をはぐくんだ。 歌人宣長はやがて源氏物語を読み解き、古事記を読み解いたのである。 北村季吟は松永…

柿園

加納諸平だが、『柿園詠草』巻頭 うぐひすの 今朝鳴く声を 糸にして 霞の袖に 花ぞ縫はまし こういう歌を好む人もいるのだろうが、 私にはいかにもあざとく見える。 心して 風の残せる 一葉すら もずの羽吹きに 誘はれにけり 絵はがきの挿絵のような、安っぽ…

詠歌と歌学

歌の学び有リ、それにも、歌をのみよむと、ふるき歌集物語書などを解キ明らむるとの二タやうあり 歌をよむ事をのみわざとすると、此歌学の方をむねとすると、二やうなるうちに、かの顕昭をはじめとして、今の世にいたりても、歌学のかたよろしき人は、大抵い…

宣長の初めての歌

新玉の 春来にけりな 今朝よりも かすみぞそむる ひさかたの空 宣長が19歳の時に、最初に詠んだ歌。 ちょっと検索してみると、いろんなことがわかる。 「春来にけりな」という歌は無い。 普通は「春は来にけり」と言うところだがなぜ「春来にけりな」? 花の…

竜田川と神奈備の杜

万葉集には「たつたがは」が一つも詠まれていないという宣長の指摘は大発見であった。 古今集ですでに竜田川が奈良の龍田山に流れる川であるという誤解が生まれていたのにもかかわらず。 その歌はもともと読み人知らずだったはずだが、 柿本人麻呂や平城天皇…

立田川と水無瀬川

本居宣長は玉勝間(巻一、巻二)で、立田川というのは今の水無瀬川であると言っている。 竜田川というのは大和国竜田山を流れる川であるというのが定説で、 業平の伊勢物語第百六段に「昔、をとこ、みこたちのせうえうし給ふ所にまうでて、たつた河のほとり…

千載集

千載集―勅撰和歌集はどう編まれたか セミナー「原典を読む」 千載集がなぜあのような慌ただしい時期に編纂されたのかということについて考察している本なのだが、 結論は結局後白河院が、保元の乱から平家滅亡までの鎮魂のために作ったのだということらしい…

雲居に紛ふ沖つ白波2

雲居に紛ふ沖つ白波再説 高橋睦郎「百人一首」p.152 わたの原漕ぎ出でて見れば久かたの 雲ゐにまがふ沖つ白波 法性寺入道前関白太政大臣こと藤原忠通。 詞花集「新院位におはしましし時、海上遠望といふことをよませ給ひけるによめる」 保延元(1135)年4月…

文覚の歌

白洲正子「花にもの思う春」p.173 世の中の なりはつるこそ かなしけれ ひとのするのは わがするぞかし 文覚というのは無学文盲の無茶くちゃな修行僧だと思っていたら歌を詠んでいてしかもそれが「明月記」に載っていて、 定家が この歌心こもりて殊勝なり、…