不確定申告

tanaka0903

2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

享和元年宣長上京の理由

あいかわらずのネタ。 宣長日記享和元年三月十六日(グレゴリオ暦1801年4月28日)、 公卿勅使花山院右大将殿(愛徳卿)御参向、今夕当所御泊。 藤浪殿亦御参向、一時許先給、同泊。 抑、公卿勅使参向者、去寛保元年有之(庭田宰相殿)。 其後今度也、尤珍。 さらに…

科挙

某つぶやきでエキサイトしてしまったのだが(あれは「もう寝ます」とか言ってやめるべきだっただろうか)、 もともと考えていたことは別のところにあって、中国が、アヘン戦争以来、西欧列強にぼこぼこにやられて、 とうとう科挙というものが廃止されて、西…

田植え

古くは「田植ゑ」という言葉はなかった。 歌には「早苗取る」という言い方なら良く出る。 苗代の早苗を取って田んぼに移し替えるわけだが、 その田んぼに移し替える作業、つまり田植えに相当する言葉がない。 苗代に水を「堰き分く」とも言う。 その前の段階…

陰暦・陽暦変換

探せばけっこうあるのだが 換暦 などがシンプルで便利か。

享和元年上京日記

宣長は十代後半から二十代後半まで、京都遊学のために何度か京都と松坂を往復している。 その後では、寛政二年(1970)、寛政五年(1973)、享和元年(1801)の三回しかないようだ。 寛政二年の上京は、御遷幸、 つまり新築された御所に、天皇が仮御所から帰るとこ…

寛政五年上京日記

あいからわずのネタ。 宣長の寛政五年(1793)上京日記(全集第16巻)。 四月十一日(陽暦5月20日)、蘆庵宅訪問。 蘆庵 来む年を契りおけども老いぬればけふの別れをしばしとぞ思ふ かへし。宣長 しばしとて立ちもとまらば松陰に千世や経なまし飽かぬ心は 千世八…

静養中

昨日は午前の9時から20時くらいまでぶっおしで働きそのあと0時過ぎまで遊んだ。 風邪引きなのに。 起きたらもうろうとしてた。体重もかなり減っていたらしい。 らしいというのは、朝、爆食爆飲したあと計ったからだ。 もう少し静養する。 午後から働くかどう…

上田合戦

サマーウォーズにちらっと出てくる 上田合戦 だが、なかなか面白そうな話だな。 三河物語も読んでみたい。 面白そうな話が多すぎて困る。 あずまきよひこ.com に書いてあったのでつい反応した。 いや、安彦良和の三河物語なら、もう読んだのだが。

享和の上京

宣長の享和の上京の件だが、門人と京都の学者らがみなで資金をまかなったのだろうか、 二ヶ月半もの長い間、松坂を離れている。 72才の最晩年に、歩いて行ったとも思われない。馬か、籠か。 四条烏丸という、今でも一番繁華な辺りに宿泊している。 「天の下…

養子

江戸時代は、いやつい最近まで日本では、家を絶やさないために養子をとることが多かった。 家が産業であり(学者の家ならば学問でもあり)、家が財産であり、家が共同体であったからだが、宣長も大平を養子にしている。 大平が弟子の中で特に良く出来たからで…

学びの窓

我が部屋に文読みをればさ夜更けて人は学びの窓とやは見む けふまでになさむと思ひしことはせで明日もいとなき日を過ぐすかな こうしてまた日曜日にまとめて仕事をするのでした。

空海の歌

風雅和歌集には、弘法大師の歌 わすれても汲やしつらむ旅人の高野の奥の玉川の水 が収録されているそうだが、はて、あまりにも時代がかけ離れているし、空海が和歌を詠んだとして、 風雅集の時代に初めてあらわれたというのが、ちと信じがたい。 玉勝間11「…

ふと

ホットプレートでかすぎワロタ。 しかも鉄板三種類とか。 重いしでかいしかさばるし。 しみじみとお好み焼きでも焼くか。 たこ焼きも焼けるし。

しらべもの

江戸後期紀行文学全集。 比較的新しい本。 菅沼斐雄著「香川平景樹大人東遊記」というのは、香川景樹が江戸進出を企てたときの日記なのだろう。 菅沼斐雄は景樹の門人で文政元年(1818)景樹に従って江戸へ行くが、景樹が帰京した後も江戸に留まり、浅草に住ん…

思うに、

風邪気味。 薄着で寝冷えしたせい。 三日目くらい。 薬飲む。 庭のバラがわさわさ茂る。 バラは草ではなくて樹木だが、枝は自分を支えるほど強くない。 しかもどんどん密生して互いに絡み合う。 垣根にうまく紐などで結んで形を作ってやらないといけない。 …

現代における和歌

景樹の言うように、和歌は口語に帰るべきであり、調べは言語によらず世界共通というのであれば、 今や世の中にはフォークもロックも歌謡曲もJPOPもある時代であるから、 和歌がそれらとがちんこで口語と調べで勝負すれば負けるに決まっている。 和歌は歌謡曲…

後水尾天皇

宗政五十緒「江戸時代の和歌と歌人」では後水尾に「ごみのお」とルビがふってある。 なるほど、ATOKでは「ごみずのお」でも「ごみのお」でも変換できる。 wikipediaは「ごみずのお」と仮名が振ってある。 どちらも許容されているということかな。 敢えて言わ…

ランチ

昨日は駅前のリンガーハットでラーメン・餃子ランチを食べた。 690円。 久しぶりに食べて満足。 今日は居酒屋の昼定食を食べてみたのだが、これはもう量が多いというだけで、 飯も茶も漬け物もおかずもとにかくまずい。 ひどい目にあった。 食べきれなくて残…

真淵と景樹

引き続き宗政五十緒「江戸時代の和歌と歌人」。 真淵の歌 大比叡や小比叡の雲の巡り来て夕立すなり粟津野の原 に対して景樹の歌 大比叡や小比叡の奥のさざなみの比良の高根ぞ霞そめたる を挙げて、「この二首を比較しても、景樹の才気は十分窺いうる」などと…

小堀遠州、長嘯子、烏丸光広

引き続き宗政五十緒「江戸時代の和歌と歌人」。 小堀遠州の 風冴えて寄せ来る波の跡もなし氷る入り江の冬の夜の月 を紹介しているが、これは定家の 駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮れ などの単なる模倣であって別段大した歌ではない。…

江戸時代の和歌と歌人

宗政五十緒「江戸時代の和歌と歌人」を読む。 やや古い本で、著者自身はすでになくなっている。 きわめて興味深い本ではある。しかし、いろいろな短編のエッセイを集めて大学の助成金で出版したものであって、 いわば一種の珍本のたぐいで、 まったく予備知…

霊元院の歌

梓弓やしまの外の波風ものどかなる世の春やいたらむ 袖の香を家づとにせむ道の辺の垣根の梅は折るべくもなし 山水の一つ流れをいく町にすゑせき分くるしづが苗代 夏もはやなかばは過ぎぬさみだれの晴れぬ日かずを数へこし間に おのがためつれなき妻を有明の…

油谷倭文子の歌

雪深き谷の古巣のうぐひすはまだ春としも知らずやあるらむ 春風は吹きそめにけりつくばねのしづくの田居や氷とくらむ 花の色に心も染めぬうなゐ子の昔よりこの春は待たれし 雪深きかきほの梅もうぐひすの声聞くときぞにほひまされる いつしかも行きて見てし…

祇園梶子の歌

しづのめが降り立つ小田の水かがみ見るひまもなく取る早苗かな 雪ならばとひこし人のあとも見む木の葉に埋む庭の通ひ路 契りしは昔なりけり思ひ寝の夢には絶えぬ人の面影 つらくのみ過ぎこし方を忍べとや憂きひとり寝に立てる面影 雪ならばこずゑにとめて明…

auの携帯

なんか、電波帯が無くなって使えなくなるというので、機種変更。 もし変更しなければどうなったのだろうか。 まあいいや。 5250円持ち出しで。 au共通充電器というものも980円で買ったのだが、 古い充電器でも普通に充電できてショック倍増。

桂園遺文

景樹の「桂園遺文」に、 文句は古今に従ひ、都鄙によりてかはりゆくものなれば、たのみがたきものなり。 この調べのみは古今を貫徹するの具にて、いささかもたがはざるなり。 ひとり大和言葉のみならず、からもえぞも変はらぬものなり。 などと言っている。…

蘆庵と宣長と景樹

長くなるので、記事を改める。 蘆庵と宣長と景樹、この三人は比較的仲が良く、互いに交友している。 思うに、蘆庵は、良い歌を詠むには、第一義には「無法無師」つまり何も決まりなく、誰にも教わらずに詠むのが良いとしている。 古歌はみなそうして自然とで…

新学異見

佐佐木信綱編「日本歌学大系」第7、8巻を借りてくる。 契沖から大隈言道まで、江戸期の歌論を要領よく収録してくれている便利な本。 そのうちのとりあえずは景樹「新学異見」をざっと読んでみる。 「新学異見」というか景樹の歌論というものは、紀貫之を崇拝…

ひどい一日だった。

人はいつも おのがありかに 飽かずして 逃れ出でむと 思ひこそせめ 連休明けというだけでなく、何から何まで最悪だった。 良い仕事はしたと思う。 しかし、そのわりには満たされない。 しかし、今自分の居るところが気にくわないと、 仕事や住む所を転々とし…

から猫

和歌でときどき猫のことを「から猫」というが、「から」とは「やまと」に対する言葉だから、 「やまと猫」というものがあるかというと、別に居ないようだ。 ツシマヤマネコが和種として古くから知られていて、それに対するものかもしれない。 或いは昔、猫と…