不確定申告

tanaka0903

楠公銅像

自臣祖先友信開伊
豫別子山銅坑子
孫継業二百年亡
兄友忠深感國恩
欲用其銅鋳造楠公
正成像献之闕下
蒙允未果臣継其志
薫工事及功竣謹献
明治三十年一月
従五位臣住友吉左衛門謹識

※「臣」は小字。

読み下し

臣の祖先・友信、伊豫・別子山銅坑を開きてより、 子孫、業を継ぎ二百年、 亡兄・友忠、深く国恩を感じ、其の銅を用いて楠公正成の像を鋳造し、 之を闕下に献ぜんと欲するも、 允(ゆる)しを蒙むりて未だ果たさず。 臣、其の志を継ぎ、工事を薫し、功竣に及び、謹しみて献ず。

明治三十年一月

従五位住友吉左衛門、謹みて識す

現代語訳

私の祖先・友信(住友友信 (1647 - 1706) 住友家3代当主)が伊予国別子銅山を開いて以来、 子孫は代々二百年の間その業を継ぎました。 私の亡くなった兄・友忠(住友友忠 (? - 1890) 住友家13代当主)は、深くその国恩を感じ、 その銅を用いて楠木正成公の像を鋳造し、 朝廷の城下に献上しようと思い、その許可はいただきましたが未だ果たさずにいました。 私はその亡き兄の志を継ぎ、工事を監督し、竣功に及んだので、ここに謹んで献上します。

明治三十年一月

従五位 私、住友吉左衛門(住友吉左衛門 (1865 - 1926) 住友家15代当主住友友純が、謹んで記します。

参考

幕末維新懐古談 楠公銅像の事 高村光雲