不確定申告

tanaka0903

和歌

父の歌など

柳田国男『故郷七十年』「父の歌など」 はかなくも 今日落ちそむる ひとはより 我が身の秋を 知るぞかなしき ここで父とは柳田国男の父・松岡操のこと。 彼もまた桂園派の歌人であった。 「ひとは」とは普通に考えれば「一葉」なのだがこれには「一歯」がか…

故郷七十年

大塚英志『キャラクター小説の作り方』の続きなのだが、 この中に「柳田国男による古典文学批判」として出てくるのは、 「頓阿の草庵集」というごく短い文であり、 『定本 柳田国男集 別巻3』に載っている。 この『別巻3』は『故郷七十年』『故郷七十年拾遺…

雲居に紛ふ沖つ白波

藤原忠通 わたの原 漕ぎ出てみれば 久方の 雲居に紛ふ 沖つ白波 「くもゐにまがふ」だが、これ自体は珍しいのだが、 検索してみると「かすみにまがふ」という用例がある。 「花のためしにまがふ白雪」などというものもある。 「しらがにまがふ梅の花」という…

新続古今集

21代勅撰集の最後、『新続古今集』の仮名序に しかるに前中納言定家卿はじめてたらちねのあとをつぎて、新勅撰集をしるしたてまつり、前大納言為家卿また三代につたへて続後撰をえらびつこうまつりしよりこのかた、あしがきのまぢかき世にいたるまで、ふぢ河…

秀能

後鳥羽院口伝に 又、寂蓮・定家・家隆・雅經・秀能等なり。寂蓮はなほざりならず歌よみしものなり。あまり案じくだきし程に、たけなどぞかへりていたくたかくはなかりしかども、いざたけ有歌よまむとて、たつたのおくにかゝる白雲、と三體の歌によみたりし、…

藤原定家

藤原定家の本がまもなく出るので、 自分のブログを読み返しているところだが、すでに2010年に 駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕ぐれ について藤原定家 定家にしてはめずらしく写生的な歌なのだが、 実際には存在しない情景を詠んでいる。…

和歌と詩

詩というものはあらゆる時代のあらゆる民族に見られる普遍的なものだ。 詩には長短や強弱などの律(リズム)がある。 或いは押韻がある。 そしてふつうは一番短くても四行くらいはある。 中国の七言絶句やペルシャのルバイなどが典型だ。 この四行を核として…

歌学概論

源俊頼とか六条清輔とか藤原定家とか後鳥羽院とか本居宣長とか香川景樹とか萩原朔太郎とか正岡子規とか丸谷才一とかいろんな人の歌論を読んでいるのだが、 こんな風に中世から現代までの和歌を論じたもの、 和歌概論とでもいうか、 そういうものを書いたり研…

古きを慕う

和歌は外来語や漢語に対して排他的であるというが、 実は大和言葉自体に対しても同様だ。 はるさめ、とは言うが、あきさめ、こさめ、きりさめ、などは和歌には使われない。 これらの語が俳句や都々逸に使われるのはまったく問題ないことだ。 なつさめ、ふゆ…

後鳥羽院初学の歌

この頃は 花ももみぢも 枝になし しばしな消えそ 松の白雪 後鳥羽院御製。正治後度百首(1200年末)。新古今。 後鳥羽院の 1200年より前の歌というものは残っていない。 当時満20歳。 和歌の習い立てに定家の 見渡せば 花ももみぢも なかりけり 浦の苫屋の 秋…

高倉院御製

新古今に見える高倉院御製四首。 275 瞿麦露滋といふことを 白露の 玉もて結へる ませのうちに 光さへ添ふ 常夏の花 「瞿麦」はエゾカワラナデシコ。 「ませ」は「まがき」のこと。 524 紅葉透霧といふことを 薄霧の たちまふ山の もみぢ葉は さやかならねど…

ふりかえると。

昔の日記など読むに、 和歌を詠んでいたのは学部生だった頃、つまり1986から1989年くらいなのである。 そのあとずっとブランクがあって2009年に再び詠み始めた。 つまりは田中久三という名前にしてからだ。44歳。 式子内親王の 忘れめや あふひを草に ひき結…

墨汁一滴

正岡子規『墨汁一滴』とは、墨汁一滴分の短い日記という意味だろう。 そういう条件で引き受けた随筆という意味かもしれん。実際かなり短い日もある。 万葉調の優れた歌人として、 源実朝、賀茂真淵、田安宗武、橘曙覧、平賀元義らが挙げられているのだが、 …

俊頼髄脳、etc

歌論集 : 俊頼髄脳, 古来風躰抄, 近代秀歌, 詠歌大概, 毎月抄, 国歌八論, 歌意考, 新学異見 新編日本古典文学全集 (87) 非常に良くできた本だ。 密度が濃い。 原文と、解説と、ほぼ完全な現代語訳がついている。 原文にかぶせた註が茶色に着色されているのも…

定家の禅

藤原定家について書いている。 タイトルは仮に「定家の禅」。受け狙いでもあり、わりと本気でもある。 さくっと書き終えたと思ったが、調べているうちに知識が増えていき、 最初は推測で「かもしれない」などと言っていたところが、 確かな証拠を発見したり…

新古今集 後鳥羽院と定家の時代

これから読もうと思っているのだが、「天才帝王と空気の読めない秀才貴族」 という解釈は間違いだと思う。 後鳥羽院の宮廷で「空気を読む」ということはつまり自我を捨てて幇間になるということだ。 皇帝の前の宦官になれというのか? だから北条氏と戦争し…

九条良経と田安宗武

九条良経と田安宗武。 一人は藤原氏で一人は徳川氏だが、 この二人はある意味でよく似ている。 和歌をダメにした二大元凶といえる。 九条良経は和歌を権威主義のおもちゃにした。 田安宗武はそれを武家に都合の良いように作り変えた。 一方は惰弱、他方は空…

新三十六歌仙

九条良経は土御門天皇の摂政太政大臣(実質的には後鳥羽院政のトップ)。1206年死去、38歳というからまだ若い。 新古今の寄人で仮名序(どうという見所もない文章)の著者。歌もたくさん採られている。 天皇や皇族で歌のうまいのは当たり前だが、摂政関白太…

小倉百人一首の成立

小倉百人一首がほぼ現在の形になったのは、続後撰集が出た後だろう。 1251年続後撰集に、承久の乱の後の後鳥羽院や順徳院の御製が採られたことによって、 おおやけに、院らの名誉回復が行われた。 小倉百人一首が院らの鎮魂という形で完成した。 時の鎌倉幕…

百人一首というのは要するに歌を学ぶのには適してない

自分でも定家までの歌人を100人選ぼうとしているのだが、 私の好みのせいもあるかもしれないが、平安時代だけだと50人も選べない。 奈良時代を入れても全然足りない。 素戔嗚尊からずーっと入れて70人くらいにしかならない。 江戸時代まで入れれば簡単に100…

百人一首は凡歌を好む。

いよいよ百人一首を書こうと思って、また調べ始めたのだが、古今集のときと違って気が重い。 古今集の気持ちのよさが百人一首にはない。 どんどん憂鬱になっていく。 百人一首は凡歌を好む。 凡人の好みをかなり忠実に反映していると言っても良い。 プロの歌…

万葉集では「将宿」を「寝む」と訓む。 人麻呂の「ひとりかもねむ」の「ねむ」が「将宿」と表記されている。 足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾乃 永長夜乎 一鴨将宿 なんでやねんと思う。 しかし万葉集の他の用例を見ると、 「将宿」は「宿らむ」とも訓まれ、 「…

こひぢ

こひぢは恋路とも泥とも書く。 恋路は濡れる、涙、蓮、あやめ草、五月などとかけて使われる。 更級日記に、今の隅田川当たりの情景を 浜も砂子白くなどもなく、こひぢのやうにて などと言っているのが割と有名ではなかろうか。 単に「ひぢ」とも言う。 「ひ…

東撰和歌六帖

六帖は単に六分冊となっているという以上の意味はないらしい。 藤原基政の私撰集となっているが、 宗尊親王が鎌倉将軍だった頃に編ませたという性格のものであろう。 割と面白い。 特に北条泰時の歌がたくさん収録されているのがうれしいのだが、 完本は伝わ…

新類題和歌集2

角川の新編国歌大観の新類題和歌集をだらだらと読んでいたのだが、 後水尾院、仙洞(霊元院)、後西院、幸仁(宮将軍に擁立されようとした有栖川宮幸仁親王。後西院の皇子)、東山天皇、中御門天皇、基熙(近衛基熙。将軍家宣の正室熙子の父) などの歌が収…

岩佐美代子

※もう少しリライトする必要があるとは思いますが、 趣旨はだいたいこんなかんじです。 後醍醐天皇が統幕に失敗して隠岐の島に流されると、 光厳天皇が即位した(1331)。 このときはまだ鎌倉幕府が存続していて、三種の神器もあり、皇太子にも立てられていたの…

文学全集を立ち上げる

以前に京極派 で、丸谷才一は京極派というものがまるでわかってないんじゃないかと疑いを持ったのだが、 この「文学全集を立ち上げる」という本を読んでますます疑念は深まった。 日本文学全集に古今集と新古今集と風雅集と玉葉集を入れるという。 なぜより…

対句と対聯

聯という字が我々にほとんどなじみがないように対聯という概念も日本人には希薄だと思う。 対聯は五言排律のような比較的長い漢詩にのみ使われる用語であり、 律詩や絶句くらいしか親しみがない日本人にはよくわからん世界である。 対聯は二句だけでも成立し…

和歌の詠み方

和歌の詠み方に関するメモ というものを読んだ。 なるほど確かによくまとめてある。 だが一方で、これでは結局現代人が歌を詠もうと思って詠めるようにはならんと思う。 頭でっかちになるだけで、今の時代を生きる自分が、どのような歌を詠めばよいのかとい…

安積

たまたま郡山に行っていたのだが、郡山と言えば安積(あさか)である。 安積山かげさへみゆる山の井の浅き心をわが思はなくに 極めて古い歌である。 安積香山 影副所見 山井之 淺心乎 吾念莫國 右歌傳云 葛城王遣于陸奥國之時國司祗承緩怠異甚 於時王意不悦…