不確定申告

tanaka0903

万葉集では「将宿」を「寝む」と訓む。 人麻呂の「ひとりかもねむ」の「ねむ」が「将宿」と表記されている。

足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾乃 永長夜乎 一鴨将宿

なんでやねんと思う。 しかし万葉集の他の用例を見ると、 「将宿」は「宿らむ」とも訓まれ、 「将去」は「ゆかむ」、 「将隠」は「隠さむ」、 「将泊」は「泊てむ」、 「将示」は「示さむ」、 「将有」は「あらむ」、 「将見」は「見む」、 「将超」は「こえむ」、 「将吉」は「よけむ」、などと訓まれているのである。

つまり、意志の助動詞「む」を意訳して「将」とした。 まさに~しよう、という意味があるからだ。

「ひとりかもねむ」は 「獨可毛将宿」と書かれたり、 「獨鴨念」と書かれたり、 「一香聞将宿」「一鴨将寐」「孤可母寐」「一鴨将宿」「獨鴨寐」などと書かれたりもするが、 「比登里可母祢牟」と書かれたものもあり、これは「ひとりかもねむ」と訓まざるを得ない。 万葉時代には良く使われた言い回しだったのだろう。

「ながながしよを」は「永長夜乎」と書かれているが、 これでは「ながながよるを」と訓んでもよい。 「ながながきよを」「ながきながよを」かもしれない。 なぜ「ながながしよ」となったのか。

私なら

あしひきの 山どりの尾の しだり尾の 長き長夜を ひとりかも寝む

と訓みたい。

平安時代すでに「ながながし」はシク活用なので「ながながしき夜」となって余計変だ。