不確定申告

tanaka0903

和歌

山家心中集

岩波書店の全集あるいは岩波文庫などでは、 勅撰集は定家の新勅撰集まででそれ以後の歌集がほとんどない。 8代集以降の21代集やら数々の私家集は、確かにおおむね退屈だが読まなくて済むものではない。 特に私は最近、正徹に注目しているのだが、詳しいこと…

作御歌

古事記の読み下しというのはいったいだれがどうやってきめたのか、よくわからんのだが、 「作御歌」は「みうたよみしたまふ」と訓じているようである。 思うのだが、「御」を頭に付けて敬う用法は漢語にはなくて、 本来は「統御」「還御」などのように、 動…

見しやいつ

正徹 見しやいつ 咲き散る花の 春の夢 覚むるともなく 夏はきにけり なかなか巧んだ歌である。 「春の夢覚むるともなく夏はきにけり」 まさに今の季節をうまく言い表しているなあと思う。 「見しやいつ」 もなかなか斬新な言い回しだなと思って検索してみる…

連歌

白河院の院宣により源俊頼が「金葉集」を編み、院の気にいらなかったために、 三たび奏覧した。 俊頼は「散木奇歌集」に連歌を収録したが、 「金葉集」の巻十にも連歌が採られているというので見てみたのだが。 あづまうどの 声こそ北に 聞こゆなれ みちのく…

て居り

喜田貞吉サンカ者名義考 を読んでいると、平安朝末期の散木奇歌集に うからめは うかれて宿も 定めぬか くぐつまはしは 廻り来て居り という連歌があるという。 散木奇歌集とは何かというと、源俊頼の家集であるという。 どうみてもこれは連歌というよりは、…

なみより出ででなみにこそ入れ

武蔵野の広漠とした風景をうまく表した歌 むさしのは 月の入るべき 山もなし 草より出でて 草にこそ入れ これは江戸時代の俗謡で元は、藤原通方という人の歌 むさしのは 月の入るべき 峰もなし 尾花が末に かかる白雲 であるという。採られているのは続古今…

情と詞と体

定家「詠歌大概」冒頭、 情以新為先、詞以旧可用。風体可効堪能先達之秀歌。 情(こころ)は新しきを以て先と為し、詞(ことば)は旧(ふる)きを以て用うべし。 風体は堪能なる先達の秀歌に効(なら)ふべし、と訓めばよかろう。 割註があり、 求人之未詠之心詠之 …

宇都宮氏、飛鳥井雅経

宇都宮氏、小山氏、結城氏、などというが、 いずれも頼朝の頃に現れた下野の御家人である。 或いは義家の頃からすでに源氏の御家人であったかもしれぬ。 結城は小山の分家だが、 宇都宮頼綱が小山政光の養子(単に養われただけ?)になっていることからみても…

百人一首と定家

百人一首、 百人一首2、 百人一首3、 百人一首への招待、 定家私撰集などの続きです。 定家の私撰集と百人一首を比較してみた結果を表にしてみた。 間違いもあるかと思うがだいたいの傾向はつかめると思う。 ここで言えることは、小倉百人一首もしくは百人秀…

香川景樹

香川景樹の「新学異見」、ここで新学というのは賀茂真淵の「にひまなび」のことであり、 景樹がそれに反論を試みたものである。 四十代半ばに書いたものらしい。 真淵は例によって万葉集はすばらしい、万葉集をまねて歌は詠め。 古今集をまねてはいけない。 …

「つる」と「りし」

荷田在満が「国歌八論」の中で、額田王の歌 秋の野の み草刈り葺き 宿れりし 宇治の宮処の 仮廬し思ほゆ の「宿れりし」より「宿りつる」にしたほうがよい、等と言っていて、 田安宗武が「国歌八論余言」でいや「宿れりし」のほうがやはり良い、 などと反論…

鉢木

鉢木という謡曲がある。 のうのう旅人、お宿参らせうのう、あまりの大雪に申すことも聞こえぬげに侯、痛はしのおん有様やな、もと見し雪に道を忘れ、今降る雪に行きがたを失ひ、ただひと所に佇みて、袖なる雪をうち払ひうち払ひし給ふ気色、古歌の心に似たる…

かげ

駒とめて 袖うち払ふ かげもなし 佐野のわたりの 雪の夕暮れ なのだが、久保田淳「藤原定家全歌集」によれば、 「かげ」を「ものかげ」と解釈したのは世阿弥であるという。 つまり、室町時代にはすでに、 馬を駐めて袖の雪を払って宿る物陰もない、 というよ…

小椋山

秋雜歌 崗本天皇御製歌一首 08-1511 暮去者 小倉乃山尓 鳴鹿者 今夜波不鳴 寐宿家良思母 雜歌 泊瀬朝倉宮御宇大泊瀬幼武天皇御製歌一首 09-1664 暮去者 小椋山尓 臥鹿之 今夜者不鳴 寐家良霜 この二つの歌は同じである。 ゆふされば をぐらのやまに なくしか…

小泊瀬と大泊瀬

和歌では長谷(はせ)のことを「をはつせ」と言ったりするのだが、 「はつせ」は初瀬のことだなってすぐわかるんだが、「を」がよくわからない。 古今以後でもたまに使われるが、もう意味がわからなくなっているようだ。 万葉集では「小泊瀬」とあるから、 …

駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮 有名な歌なんで、気にも留めてなかったが、 ググってみると、 「かげもなし」というのは、 「雪や風を避けるための物陰」が見当たらないと解釈している例がほとんど。 いやしかし、 古語では、「かげ…

埃吹く街

近藤芳美。 先入観を捨て、まじめに読んでみると良いものもある。 夕ぐれは 埃の如く 立つ霧に 駅より駅に 歩む労務者 つらなりて あかり灯れる 陸橋を 歩める中に 義足踏む音 列つくる 地下食堂の かたはらに 扉ひらきて 映画がうつる 冷えびえと 設計室の …

尚未

孫文の遺言だが、中文版ウィキペディアには、 現在革命尚未成功。凡我同志,务须依照余所著《建国方略》、《建国大纲》、《三民主义》及《第一次全国代表大会宣言》,继续努力,以求贯徹革命尚未成功、同志仍須努力 とあって日本語版には なお現在、革命は、…

漫吟集

契沖の「漫吟集」なんだが、 これ読むのはかなり骨が折れる。 たまに秀歌が混じるが他は凡作としかいいようがない。 数が多くてきちんと分類されているから、読んでいるとだれる。 全体的に退屈と言われても仕方ないと思う。 菅の根に 雪は降りつつ 消ぬがう…

無名抄

鴨長明は歌がうまいんだかうまくないんだかよくわからない人だ。 確かに探すと良い歌もある。 時雨には つれなく見えし 松の色を 降りかへてけり 今朝の白雪 無名抄に載る。 これはもとは「つれなく漏れし」だったのを俊恵が「つれなく見えし」に直したので…

続後撰集

続後撰集 だが、 西園寺入道前太政大臣というのが西園寺実氏で、 単に前太政大臣というのが若死にした九条良経であろうか。 この二人は太政大臣だから入選が多いのだろうが、非凡な歌もあるようなので、よく調べてみる必要がある。 定家がダントツに多いよう…

詠歌一体2

詠歌一体の前半部分は単に題詠の作法のようなことをうだうだ述べているだけである。 藤原清輔が「和歌一字抄」という、一字題の詠み方について書いているのに対して、 「池水半氷」のような長い具体的な題をどう詠むか。 題のすべてを詠み込むのでなく全部あ…

敷島の道2

敷島の道の続き。 定家の「拾遺愚草」を拾い読みしてたら、 飛鳥井雅経が自分の子・教雅の歩き初めに あとならへ 思ふおもひも とほりつつ 君にかひある 敷島の道 定家かへし 敷島の 道しるき身に ならひおきつ 末とほるべき あとにまかせて 意味は分かりに…

蜀山人2

蜀山家集 全。 狂歌のみをだいたい見繕ったもののようだ。 これは便利。 弥生十二日舟にて隅田川にまかりけるに花いまだ咲かず 隅田川 さくらもまだき 咲かなくに 浮きたる心 花とこそ見れ これはまともな歌。 春の日、芝のほとりにて 春の日も ややたけしば…

蜀山人

蜀山人全集を読み始めたのだが、 全五巻あり、そのどこかに狂歌がまとめて載っているわけでもない。 連歌もあれば漢詩もある。 当然のことではあるが和歌について論じている文もある。 杏園詩集の巻頭 日出扶桑海気重 青天白雪秀芙蓉 誰知五嶽三山外 別有東…

古今夷曲集

一休の和歌は「古今夷曲集」などにかなりの数採られているのだが、真作なのか。 これに採られている西行、慈円、道元、沢庵の和歌というのも同様だ。 中には松永貞徳や木下長嘯子のような普通に有名な歌人も混ざっている。 鎌倉時代の西行や道元や慈円、室町…

藤原為家

俊成の子が定家で、定家の子が為家なのだが、 為家は今までノーマークだったのだが、割と歌がうまい。 この三人、いずれも勅撰集の選者となった。 選者を三代独占したわけである。 かなりやばいことである。 俊成は感覚的な抒情的な歌を詠む。 定家は研究成…

異同歌

我が背子に またも逢はむと 思へばか 今朝の別れの かなしかりつる 我が背子に または逢はじと 思へばか 今朝の別れの すべなかりつる 明らかに同じ歌であるが、微妙にニュアンスが違う。 こういう歌が、調べ出すとかなりたくさんある。 最初のがおそらくは…

赤染衛門

赤染衛門集を一通り読んだ。 実に不思議な歌を詠む人だ。 普通、歌とは、花鳥風月や春夏秋冬、恋や別れなどの、浮き世離れしたことを詠むものである。 ある意味やんごとなき、高尚なものであるという認識がある。 西行も「花鳥風月に感じて三十一文字をなす…

勅撰集編纂

再び民葉和歌集編纂にはまり始めたのだが、 一応これは、新続古今和歌集で途絶えた21代にわたる勅撰集を孝明天皇が復興して、 つまり22代目の勅撰集を作るという設定で私個人が歌を集めているわけ。 仮名序によれば万延元年十二月三日(西暦1861年1月13日)奏…