ふりかえると。
昔の日記など読むに、 和歌を詠んでいたのは学部生だった頃、つまり1986から1989年くらいなのである。 そのあとずっとブランクがあって2009年に再び詠み始めた。 つまりは田中久三という名前にしてからだ。44歳。 式子内親王の
忘れめや あふひを草に ひき結び かりねの野辺の 露のあけぼの
に
忘れめや 賀茂の社の 御薗橋 渡り初めにし 春雨の頃
と返してから、だんだんに詠み始めた。 2010年にはかなり盛んに詠んでいた。 2011年から小説を書き始めて、その歴史小説の中に和歌を使うようになっていた。 この頃から完全に古典文法に則った歌を詠むことにする。 それまでは割といい加減なやつもまじっていた。 昔の人の歌と並べて違和感のないようなのを詠むようになった。
今回定家の話を書いたのだが、 ずいぶん和歌に対する見方が変わった。 「民葉和歌集」にかき集めた歌の多くがつまらなく感じるようになったので、 選び直さなくてはならぬかもしれぬ。
歌が詠めるようになるには時間がかかる。 2009年頃のツイッターを見ると私は俳句(のようなもの)を詠んでいた。 しばらく和歌を詠んでなくて俳句みたいなものしか詠めなくなっていたのだ。 そういうものに体(というか脳)がなっていて、それは詠めても歌が詠めない。 適当な文法で歌を詠んでいるとそういう歌しか詠めないし、 そういうときに詠んだ歌の文法を直そうとしてもなおらない。 つまりそういうふうに微妙に文法が間違っているのが味になってしまっていて、文法を直すと味まで失ってしまうからだ。
気に入らないときは直すのではなくてまったく新しい歌を一から詠むしかない。 もう最初から古典文法に則った歌しか詠まないと決めて、体をならしていくと、 自然と正しい歌が詠める。それ以外の歌は最初から思いつかないのだ。 これはもう普通の武芸とかの芸能と同じだろうと思う。 体を馴らしていって自然に詞とか動作が出てくるようなものしかものにならないのである。 別の形に体を馴らせばそのようなものしかでてこない。 毎日毎日詠んでいればそのうち良い歌が出てくるようになる。 もう漢語は使わないとかカタカナ語も使わないとかへんな文法とか字余りは使わないと決めてしまって、 体がなじんでしまえば、案外からだのほうがその環境に適応して、 そういうものが自然に詠めるようになる。 これはもう人間の脳がそのような仕組みになっているからとしか言いようがない。
もちろん新しい概念は新しい詞を使わなくては直接的には表現できない。 しかし心の動きというものは昔から変わらないのであり、 人間(ホモ・サピエンス)というものも何万年も同じ種なのだから、 古い詞を使った新しい表現をみつければよい。 それは最初は比喩のようなものかもしれないが、一般化すれば慣用句になるのである。 時間はかかるがそうして古典語を新しい時代に適合させていかなくてはならない。 造語で一足飛びに概念を輸入しようとしてもいずれは反動がくる。
昔の人の歌を眺めていると突然自分からも歌が出てくることがあるのは、 その人の歌の詞や表現、そのもととなった心を借りることで今まで詠めなかったことが詠めるようになるからだ。 歌が詠めない理由の多くは古典語の制約というよりは、表現を知らないだけのことが多い。 昔にも似たような表現があり、代替可能であることにふと気がつくのである。 外国語を日本語に訳するのも似たようなものだろう。