新古今集 後鳥羽院と定家の時代
これから読もうと思っているのだが、「天才帝王と空気の読めない秀才貴族」 という解釈は間違いだと思う。 後鳥羽院の宮廷で「空気を読む」ということはつまり自我を捨てて幇間になるということだ。 皇帝の前の宦官になれというのか? だから北条氏と戦争して負けるんでしょう? むしろ後鳥羽院が暴走して破滅するのを定家は予測してたんじゃないの。
どちらかというと 「空気が読めない裸の王様と、それなりに現実的でニヒリストな秀才貴族」というところか。 どちらも天才ではない。 後鳥羽院は天才というよりは狂人というべき。
いや、狂人というのも当たらないかも。 菊池寛に『忠直卿行状記』 というのがあるが、この松平忠直に近い。 御曹司にありがちな錯覚と狂乱(ただしこの小説は、忠直自身の行いに、古代中国の暴君の行いをモチーフに脚色したものが加わっており、忠直の人格を忠実に記したものではない、か。なるほどね)。
八番目の勅撰集『新古今和歌集』が編まれた時代は、和歌の黄金期である。新たな歌風が一気に生み出され、優れた宮廷歌人が輩出した。
これも大きな間違いだ。 黄金期というよりは一種の狂乱期。 すでにこの時期には宮廷以外のところに優れた歌人が現れ始めた。
未曾有の規模の千五百番歌合、上皇自ら行う勅撰集の撰歌、と前例のない熱気をみせながら、宮廷の政治と文化は後鳥羽院の磁力のもと、再編成されていく。
いや、それが狂気。 後鳥羽院の狂気。
金字塔(笑)