後鳥羽院初学の歌
この頃は 花ももみぢも 枝になし しばしな消えそ 松の白雪
後鳥羽院御製。正治後度百首(1200年末)。新古今。 後鳥羽院の 1200年より前の歌というものは残っていない。 当時満20歳。 和歌の習い立てに定家の
見渡せば 花ももみぢも なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ
駒とめて 袖打ち払ふ かげもなし 佐野の渡りの 雪の夕暮れ
の影響をもろに受けたものであるのは間違いない。 後鳥羽院に定家が出詠したのも 1200年であり、それ以前に二人に交渉はない。
後鳥羽院の歌に定家の露骨な影響を見るのはしかしこれくらいであり、 後鳥羽院はおそらくまもなく定家の影響を受けることを拒み、 俊成や西行、或いは式子を志向するようになったと思う。 というのは定家の歌はあまりに癖が強いので真似るとすぐにばれるからである。 それでも上の二つの定家の歌の模倣者は多かった。 そういう意味では後鳥羽院はわりとまともな精神の持ち主だったと思う。