不確定申告

tanaka0903

鉢木

鉢木という謡曲がある。

のうのう旅人、お宿参らせうのう、あまりの大雪に申すことも聞こえぬげに侯、痛はしのおん有様やな、もと見し雪に道を忘れ、今降る雪に行きがたを失ひ、ただひと所に佇みて、袖なる雪をうち払ひうち払ひし給ふ気色、古歌の心に似たるぞや、駒留めて、袖うち払ふ蔭もなし、佐野のわたりの雪の夕暮れ、かやうに詠みしは大和路や、三輪が崎なる佐野のわたり

これは東路の、佐野のわたりの雪の暮れに、迷ひ疲れ給はんより、見苦しく侯へど、ひと夜は泊まり給へや。

げにこれも旅の宿、げにこれも旅の宿、假そめながら値遇の縁、一樹の蔭の宿りも、この世ならぬ契りなり。それは雨の木蔭、これは雪の軒古りて、憂き寝ながらの草枕、夢より霜や結ぶらん、夢より霜や結ぶらん。

観阿弥、もしくは世阿弥の作とされるが、不詳であるという。 世阿弥が「駒とめて」について言及しているので、それにもとづき、観阿弥もしくは世阿弥の作とされているだけなのではなかろうか。 このころはもう、「一樹の蔭の宿り」「それは雨の木蔭、これは雪の軒古りて」などのように風雪や雨をしのぐための「蔭」という使い方が定着していたと見える。

古今集、神あそびのうた、ひるめのうた

ささのくま ひのくま河に こまとめて しぱし水かへ かげをだに見む

ひるめは天照大神であるという。おそらく万葉時代の古歌であろう。 夫を見送る女の歌であるという。 夫が馬に乗って出かけていく。急がず、川で馬に水を飲ませよ、姿をしばらく見ていたい。 という意味らしい。

河原にいでてはらへし侍りけるに、おほいまうちぎみもいであひて侍りけれぱ あつただの朝臣の母

ちかはれし かもの河原に 駒とめて しばし水かへ 影をだに見む

藤原敦忠の母ということは時平の妻、ということだろう。 おほいまうちぎみとは、時平のことか。 明らかにひるめの歌から派生している。 というより、古歌を手直しして藤原敦忠母の歌ということにしただけであろう。

俊成

こまとめて なほみづかはむ やまぶきの 花のつゆそふ ゐでのたまがは

これもやはりひるめの歌を受けている。

東の方へ罷りける道にて詠み侍りける 民部卿成範

道の辺の 草の青葉に 駒とめて なほ故郷を かへりみるかな

これはごく普通の歌ではあるが、ひるめの歌を受けて、 自分が馬で旅立っていく立場で詠んだ返歌とも言える。

寄獣恋 為家

駒とめて 宇治より渡る 木幡川 思ひならずと 浮名流すな

成範の歌の続編と見えなくもない。 俺がいない間に浮気するなよ、と。 俊成、定家、為家と親子三代「駒とめて」の歌を詠んでいるからには、 為家には何か思い入れはあっただろう。

「こまとめて」「かげをだに見む」とあるのだから、

駒とめて 袖うち払ふ かげもなし 佐野のわたりの 雪の夕暮れ

の本歌がひるめの歌であるとしてもおかしくはない。 「こまとめてしぱし水かへかげをだに見む」と古歌にはあるが、 そのかげさえ無い、という意味かもしれん。 いや、それが案外正解かもしれん。 「かげ」という単語がここで唐突に出てくる理由がそれで説明がつく。 新古今に採られているからには、俊成のお墨付きであるはず。 おそらくは俊成の歌を踏まえて、 佐野の渡し場で船を待つ間、しばし馬を駐めて水を飲ませ、自分は袖に積もった雪を打ち払う、 そんな景色すらない、 ということを言いたかったのではなかろうか。