不確定申告

tanaka0903

2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧

大国魂神社

なぜか大国魂神社にしだれ桜を見に行く。 そのあと府中美術館。 歌川国芳展。まあまあ。 文覚が那智の滝に打たれる三枚続きの浮世絵が印象的。 ひろびろとして良い町。 工場も多いし競馬も競輪もあるからさそがし地方税やら医療費やらは安かろう。 戦闘機も…

黄砂襲来

もろこしの砂も降り来る春の日の夜半は嵐を聞きつつぞ寝る 雨風はきのふの夜こそはげしけれけふはしづけく春ぞ更けゆく をちこちの花咲く野辺にうたげせむ日どりばかりぞまづ決まりゆく 惜しまずやあたら月日を春さればつとめもしげくなりゆくものを いにし…

ますらを

和歌語句検索がおもしろい。 「ますらを」で検索すると一番古いので金葉集。つまり万葉集はともかく古今集辺りでは「ますらを」は一切歌に詠まれなかったということだ。 雨降れば小田のますらをいとまあれや苗代水を空にまかせて 勝命法師という人の歌。新古…

宣長と山陽

宣長よりも頼山陽は50年も後に生まれてきている。 宣長は頼山陽が21才の時まで生きているが、これは山陽が江戸遊学中に出奔するのとほぼ同じ時期。 ほとんどなんの接点もなくても仕方ないと言える。 宣長は本人の自覚としては「歌学の中興の祖」であったはず…

読書は冒険

あいかわらず小林秀雄宣長本13章辺り。 ややはしょって引用するが、 文学の歴史的評価というものは、反省を進めてみれば、疑わしい脆弱な概念なのであるが、 実際には、文学研究家たちの間で、お互いの黙契のもとにいつの間にか自明で十分な物差しのような姿…

煙草専売と特攻隊

宣長のことを調べてるといろんなことが。 日露戦争の軍費を調達するために煙草が国の専売になって、 最初に作られたのが「敷島」「大和」「朝日」「山桜」 だったそうだが、これは宣長の歌にちなむという。 宣長が愛煙家だったからだそうだ。 JTのサイト / …

思無邪

子曰。詩三百。一言以蔽之。曰思無邪。 子曰く、詩経にある三百ほどの詩について一言で言えば、よこしまな思いが無いということだと。 宣長が引用し、それを小林秀雄が指摘したと思うと趣深い。

俗中之真

小林秀雄「本居宣長」12章を読む。 なんとなく読み飛ばしていたが、おもしろい。 契沖は、学問の本意につき、長年迷い抜いた末、我が身に一番間近で親しかった詠歌の経験のうちに、彼のいわゆる「俗中之真」を悟得するに至った。 などと言っている。 小林秀…

反実仮想まとめ

「まし」「ましものを」「ましを」の使い方だがいろんなバリエーションがあることがわかったので、まとめてみる。 まず、一番確実でわかりやすいのは「AましかばBまし」または「AましかばBましものを」というパターンで、 「もしAだとしたらBなのだが」とな…

とも・・・まし

竹取物語を読んでいたら いたづらに身はなしつとも玉の枝を手折らでただに帰らざらまし という歌があり、これは松陰の辞世の歌にそっくりだ。 たとえ死んだとしても玉の枝を取らぬままに帰ることはなかっただろうに とでもなるか。つまり「帰らなかったかも…

小林秀雄 源氏物語

連休だがまったく予定がない。前倒しで仕事を片付けておくというのが一番生産的なのだが、あまりやる気にならない。 最近宣長関連を読んでばかりだったので桜の咲くのが妙に待ち遠しくなった。 「極道めし」を読むと卵かけご飯が食べたくなるようなものだ。 …

まし

ふと思ったのだが、吉田松陰の留魂録冒頭の 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置まし大和魂 ここで「まし」というのは通常は事実と反することを想像したり希望したりするものなので、 「まし」を古典文法どおりに解釈すれば「たとえこの身がくちても私の魂…

国意考

真淵が「にひまなび」と同じ頃に書いた國意考というものがあるが、 真淵の「大和魂」とはこの「国意」つまり「日本精神」というものを大和言葉に訳しただけのものではないか。 宣長がやった(と思われる)方法で、日本の古典の「大和魂」という用例からその…

ヨドバシ

たしかにヨドバシって、家電量販店な面もありつつ、 カメラ専門店でもあって、かつ自作PCとかもある程度はやってて、 そこは採算的には大したもうけじゃないか知らんが、量販店とかスーパーとかの泥沼の戦いからは距離を置いている。 長期的にはその方が安定…

賀茂真淵の大和魂

賀茂真淵にいまなびによれば、 女の歌はしも、古は萬づの事丈夫に倣はひしかば、萬葉の女歌は、男歌にいとも異ならず。 かくて古今歌集をのみまねぶ人あれど、彼れには心及さく巧みに過ぎたる多ければ、下れる世人よひとの癖にて、 その言狹せばく巧めるに心…

地名づくし習作。

たばこぐさともに飲み食ひするがなる富士のけぶりのけぶたくもあるか ええっと。「飲み食いする」と「駿河」がかけてあるわけです。 しらぬひの筑紫しまねの峯の湯の湧き捨つるほど歌は詠まばや 蝦夷島の人も通わぬ山の湯におびただしくも湧く歌もがな 伊豆…

敷島の大和心の謎まとめ暫定版

結局、「敷島の大和心」に類する宣長の言い回しは発見できず。 とりあえずのまとめ。 44才の時の自画像には「めずらしきこまもろこしの花よりも飽かぬ色香は桜なりけり」 とある。鈴屋集など自選集にもたびたび掲載されている。こちらには山桜も描かれてる。…

詠草

カラオケ歌った次の日は、気分は絶不調。 蚊も飛ばぬ春の暮れには松が根を枕に我もゑひて寝まほし 八千歌を我は残さむもののふの八十路を過ぐるよはひ保たば いまいち。

やまとごころ

検索してみた。 赤染衛門 さもあらばあれ やまとごころし かしこくは 細乳(ほそち)につけて あらすばかりぞ (外国渡来の)学がなくとも利口な人ならば、の意味。 からくにの もののしるしの くさぐさを やまとごころに ともしとやみむ 舶来の種々の物を、日本…

暑い。

暑すぎる。 暖かき春の日なかは夏衣一重のみこそ着まく欲しけれ いとまある大宮人にはあらねどもけふも日暮らし文を見るかな

民族精神

新渡戸稲造は「武士道」の中で「武士」ではなく「平民」の「民族精神(フォルクスガイスト)」として、 本居宣長の歌 敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花 を紹介している。さらに西洋の薔薇と日本の桜を対比させて、 薔薇は「複雑」「甘美の下に刺を隠せ…

安永四年

宣長 もののふのたけき心も咲く花の色にやはらぐ春の木のもと 武士の猛き心と桜の花は違うと言っている。 春の日の長きを花の心にて散ること知らぬ桜ともがな 待ちえても心にまかす花ならで見る日すくなき山桜かな 花は心のままにならないと言っている。 春…

願はくは花のもとにて

西行 願はくは花のもとにて春死なむそのきさらぎの望月の頃 宣長 願はくは花のもとにて千代も経むそのきさらぎの盛りながらに 特徴出てるなあ。 西行の方がはるかに厭世的で破滅的。 宣長はあくまでも現世肯定的だし、花の盛りが永遠に続けば良いというとこ…

春の妄念。

外飲みしながら のどけくもうつろひやすき春の空明日はふたたび雨とやはならむ 天気予報士でなくてもこのくらいの歌は詠んでもよかろう(笑) うすぐもり春のゆふべに道を行く人をながめて酒を飲むかな 暮れぬまにはやともしびをともしけり道のむかひにあきな…

永井豪

いまさらながら、ハレンチ学園やあばしり一家やデビルマンを小学生の頃読んだ世代にしてみれば、 ああいうものが規制されなかったほうがおかしいと、改めて思う。 ただ単に、役人も、世間一般も無知だっただけだろう。 規制されるべきかどうかの議論にはあえ…

敷島

さて、「しきしまの」という言葉の用例を和歌語句検索 で調べると、 なんと、続後撰集が一番古い。 つまり、このデータベースは古今集から後なので、 万葉時代には枕詞として使われていたが、その後長く忘れられており、 千載集の序で 敷島の道も盛りにおこ…

玉勝間

玉勝間を読んでいるのだが、 これはまあごくふつうの随筆、短文集。 「酒を酌みて飲む」とは唐国のしわざであって皇国にはいにしへも今もない、 古くは歌にも文にも「酒を酌む」とは言わなかった、と。ただ単に「酒を飲む」と言うべきだと書いてある。 まあ…

敷島のやまとごころ、の謎

岩波古語辞典を見ると、「やまとだましひ」「やまとごころ」の意味として 「(漢詩文の能力に対する)実務処理能力」のことと書いてある。 まあ、あえて意訳するとそうなるわけだが、 今で言えば、いわば、学校で習う語学や数学などの学問としての知的能力に対…

しづのをだまき

ええっと。 新古今恋五辺りを読んでいると、 忍びて語らひける女の親、聞きていさめ侍りければ 参議篁(小野篁) 数ならばかからましやは世の中にいとかなしきはしづのをだまき 藤原惟成 人ならば思ふ心をいひてましよしやさこそはしづのをだまき などと出てく…

五月やみ

岩波古語辞典には「さみだれが降って暗い空」のことだとあるが、 思うに、ちょうど夏至の一番夜が短い頃の夜を言うのではあるまいか。 夜が短いのでほととぎすが鳴く時間も少ないとか。 寝覚めしたりうたたねしたりするとあっという間に朝になってしまうとか…