詩
今日日本の詩というものがまったくわけのわからないものになってしまった要因はいくつかあると思う。
イギリスと違ってアメリカという国が文芸の中で詩をあまり重視しないからであるかもしれない。 戦前、近代文芸史における詩の本場はイギリス、フランス、ドイツであった。 その中でもドイツ詩というのは非常に影響力があったが、 二度の大戦の敗北で、ドイツ語はその影響力をほとんど失ってしまった。 日本人が詩というものがわからなくなった理由の一つは戦争でアメリカが勝ってドイツが負けたからだ。
詩、というか韻文というものは、 言葉自体に韻律を持たせ、リズムとメロディを持たせるものだ。 それが音楽と相性が良いのは当たり前なのだが、 詩と音楽が深く結びついたのは近世以降のことだろうと思う。 詩は文芸の中では最も歴史が古い。 叙事詩というのは口承文芸時代の典型的な形式だ。 長文を唱えて、暗記して、後世に伝達するのに適した形式である。 多くの文芸はここから発する。
逆に最も歴史が浅いのは散文であり小説だ。 詩は文字の無い時代からあり、文字を獲得した時点で急速に流行し、 熟成期を向かえ、 と同時にに国語や民族意識というものが生まれ、 その民族とともにだんだんに衰退していく。 当たり前のことだが詩は民族と、言語と、深く結びついている。 詩は翻訳不可能だ。 しかし散文や小説は、特に言語を選ぶわけではなく、 その意味においては他民族的、国際的なものだ。
そもそも昔は音楽理論は未発達だし、楽譜も不便だった。 音楽と詩をあわせる技術も未熟だった。 古代ギリシャの吟遊詩人も竪琴や笛などで伴奏したのに違いない。 だが、詩と曲が、一対一に結びついていたわけではなかろう。 詩にはある定型があり、曲にもある定型があって、組み合わせやすくなっていただけであろう。 それは平曲や謡曲などにも言えることではなかろうか。
従って詩というものがそれ自体で自立している必要があったが、 近年のようにCDのようなもので完全に曲と詞を同時に記録できるようになると、 詞はほぼ完全に曲に従属するようになってしまった。 従って歌謡曲の歌詞のようなものを詩だと思うようになっても不思議ではない。 曲に合わせる詞には当然それ自体の韻律は必要とされない。 むしろ邪魔なだけだ。 逆に普通の話し言葉や台詞のようなものを曲に合わせるという「技巧」が好まれることになる。 それはもはや詩ではない。
少なくとも戦前までは和歌や漢詩という伝統文芸があって、 詩とは何かという暗黙のコンセンサスがあったのだが、 両者とも戦後完全に忘れられた。 誰も自分で漢詩を作らなくなり、 和歌は短歌という口語定型詩によって駆逐されてしまった。
詩学、詩論というものも、確かに戦前の萩原朔太郎辺りまではあったかもしれない。 彼はもともとは明星派の歌人だった。 彼の中にはまず和歌の素養があって、西洋詩の影響を受けて詩を作った。
ところが戦後まともに詩学について書いた人はいない。 吉本龍明くらいだろうか? その他はたとえば谷川俊太郎の詩について論じたものなどがあるくらい。 そのほとんどはただお花畑な詩をお花畑に批評しているだけ。 定番はアリストテレスの『詩学』くらい。中間がほとんどない。 こういう状況で、日本人が詩とは何かということがわかるはずがない。
たしかに口語自由詩というものは、翻訳してもその本質を損なうことはないのである。 また散文になれたものでも詩を作ることができる。 しかし彼らが試しに定型や対句などの修辞を使った詩を作るとたちまち陳腐になってしまうだろう。 つまりは演歌や軍歌の歌詞のような、下手な都々逸のようなものしか作れなくなってしまう。 韻律や修辞や伝統というものに負けてしまうのだ。 そういうものに負けずにさらに残るものが詩の本質というものではなかろうか。 私はあまり詩の本質とか内在律などというものに言及したくはないのだけど。 まあ定型詩が演歌や軍歌みたいになってしまうのは仕方のないことだ。 彼らが直接・間接に影響をうける定型詩の見本はそういうものしかないからだ。 佐佐木信綱あたりの影響を受けているのだ、本人は無自覚なままに。 佐佐木信綱は彼の短歌というよりは、軍歌の作詞によって世の中に多大な影響を及ぼした人だ (彼の短歌は多くの漢語や外来語を含んでおり、和歌(やまとうた)とは言えない。彼もまた明星派の歌人だった)。 結局はみんな何らかの「内在律」に支配されているので、定型詩を作ろうとすると、 どうしても「佐佐木信綱律」に支配されてしまう。 「新聞歌壇律」と言っても良いかも知れない。 そういう「律」に支配されるのが嫌だから、それよりかはよっぽど無毒な「散文律」に逃げる。
定型で詠もうとすればどうしてもそういう明治の文芸よりも昔にさかのぼらなくてはならない。 明治の和歌の完成度は、しょせんその程度のものであり、 江戸期や平安時代の完成度には遠く及ばないからだ。 その努力をせずに定型詩が作れるはずがない。
夏目漱石は多くの漢詩を遺したが、 漱石の漢詩を鑑賞しようという人はほとんどいない。 漱石自身は詩人になりたかったかもしれない。 しかし世の中はすでに小説万能時代だったから、 彼は敢えて自分の詩を人目にさらそうとしなかった。 文豪の余技だと思われるのを恐れたのだろう。 もし世の中が漢詩全盛期であれば(例えば江戸中期から後期ならば)漱石は詩人として名をなそうとしたのに違いない。 もし本気で漱石を理解しようと思うならば彼の漢詩と小説の関係も議論すべきだろう。