不確定申告

tanaka0903

歴史

世界で最も新しい変化は西アジアから生まれる

西洋近代とイスラムというのは、どちらも同じものなんだよ。 イスラムがたどったのと同じことがこれから近代西洋文明に起こる。 イスラムは近代西洋を導入しようとして結局は失敗した。 そりゃあそうだ、近代西洋はイスラムのコピー(おそらくは劣化コピー)…

世襲の効用

社会システムというものが何もなかった中世においては、 政治にしても社会保障にしても芸事にしても、 何か世襲という形にしなくては持続性を持たなかった。 世襲でない、皆に機会が与えられて競争ができる状態のほうが優れているというのは、 社会システム…

三種の神器の呪術性

『虚構の歌人』では承久の乱のことを日本最大の黒歴史と書いた。 後堀河天皇が三種の神器の権威だけで即位したのは律令制が否定されて古代の呪術が復活したからだと。 歴史を巻き戻したからだと。 ましかし、改めて思うに、三種の神器はそれまでも政争の具に…

惟明親王

式子内親王は人と滅多に歌を詠み交わしていないのだが、 その数少ない例が、九条良経と惟明親王である。 良経については『虚構の歌人』に書いた通り。 惟明親王のことも書いてたのだが、削ってしまった。 それをここに書いておく。 惟明親王 思ひやれ なにを…

亀山天皇と臨済宗

臨済宗はもともと鎌倉だけのもの、武士だけのものだった。 ところが亀山天皇が臨済宗南禅寺を建ててここで出家したものだから、 京都でも、公家の間でも、臨済宗が流行ることになった。 亀山天皇はなぜ臨済宗を信仰したのか。 私は、藤原為家(定家の息子)…

俊成

藤原俊成は葉室家の養子だったとき、葉室顕広と名乗った。 葉室家の養父は葉室顕頼と言ったから、養父から「顕」の字をもらったわけである。 葉室顕頼の没年は1148年。 俊成が美福門院加賀と結婚したのは、長男・成家の生まれた年(1155年)から推測するに、 …

定家の禅3

そう、もともとは、定家の禅というタイトルにしようとしていたのだった。 定家の禅2、 定家の禅。 最初は「古今和歌集の真相」の続編で「小倉百人一首の真相」みたいのを書く予定だった。 しかし小倉百人一首は100首全部並べるのがじゃまくさいので定家に絞…

メディアの業

すでに靖国神社合祀、産経購読10年、地方紙5紙の社説がソックリ。 などに書いたことの蒸し返しになるが、 私は2006年8月時点で日経を見限って、以来ずっと産経を読み続けていることになる。 ということは現時点でもまだ10年経ってないわけだ。 2つ目の話題…

藤原氏の勉強2

いわゆる大化の改新とか乙巳の変というのは蘇我氏のお家騒動に過ぎないように思える。 主家は滅んだが、蘇我一族が滅んだわけではなく、皇族が力を付けたかというとそういうわけでもなく、 藤原氏の台頭はもう少し後だ。 大化の改新が天智天皇と中臣鎌足によ…

藤原氏の勉強

藤原氏と天皇家の関係は、 不比等の娘・宮子が文武天皇に入内するまでは見られない。 文武の皇子・聖武天皇にふたたび不比等の娘・光明が入内して皇后になった。 つまりこの二代にわたる入内と、人臣で初めての皇后の位についたのが事実上の藤原氏の歴史の初…

天皇の系図

天皇の系図を見ていると、どうも、応神・仁徳あたりでようやく難波に進出しており、 それまでは九州あたりにいたのではないかと思えてくる。 景行天皇の熊襲征伐、神功皇后の三韓征伐、継体天皇の時代の磐井の乱、 天智天皇の頃の白村江の戦いなど、大きな戦…

カニバリズム

神経痛はだいぶ治ってきたがまだ痛む。 年齢と同じくらいの日数かかるというから、順調に治ってきているのだとは思うが、 ずいぶんとしつこい病気ではある。 「キリスト教とカニバリズム」というそのものずばりのタイトルを付けた本もあるようだが、 実際に…

1214年

建暦3年は12月5日まで、翌日改元して、建保1年12月6日となる。 建保1年12月6日はユリウス暦で1214年1月18日。 つまり建暦3年は西暦でいうと1213年と1214年をまたいでいる。 1214年は、建暦3年でもあり、建保1年でもある。 問題は、建保2年1月1日が1214年2月1…

定家の禅2

まったく終わる気がしない。 すでに四百字用紙換算で300枚超えている。 分量はもうそんなに増えないはずだが、書き換えが終わらない。話が収束しない。 調べ始めるときりがなく、 wikipedia と吾妻鏡の記述に矛盾があったりして困る。 余暇のほとんどを執筆…

北条泰時

北条泰時はすごく地頭がよかったのは確かだが、 ちゃんと子供の頃から勉強してなくては、和歌が詠めたり、御成敗式目を作れたりするようにはならないと思うんだよね。 そうすると、誰が泰時に学問を教えたのか、ということになるのだが、ざっと調べた限りで…

嵯峨中院

明月記に現れる嵯峨中院というのはほんとうに宇都宮頼綱の山荘だったのか。 頼綱はすでに出家して御家人ですらないし、定家に頼んでふすま絵に揮毫してもらうほど、 立派な邸宅に住んでいたとは思えない。 またわざわざ定家が日記に書き残すようなこととも思…

承久の乱

北条義時と西園寺公経は親しく、 後鳥羽院は公経を殺そうとしたと日本外史にある。 公経は頼朝に近く、おそらくは関東申次的な役職だった。 というより西園寺家が関東申次の家で、公経がその嚆矢であった。 公経は平頼盛の曾孫。 徳大寺公継と葉室光親も後鳥…

ペルセポリス

ペルセポリスはダレイオス一世によって作られ、アレクサンドロス大王によって破壊された。 すなわち、わずか200年足らずしか存在しなかった、人工都市だったということだ。 スーサとかバビロンとかエクバタナなどの都市と同じように考えることはできない。 …

アジアとエジプト

ブログのリンクをツイッターにはろうかどうか悩んでいる。 宣伝にはなると思うが、 このブログはおもいついたことをそのまま書きためておくところで、 永遠に未完成の書きかけなのだ。 後から書き直すかもしれない。 そんなことを言えばKDPで出版したものも…

傘松道詠

道元歌集 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり おし鳥や かもめともまた 見へわかぬ 立てる波間に うき沈むかな 水鳥の ゆくもかへるも 跡たえて されども道は わすれざりけり 世の中に まことの人や なかるらむ かぎりも見へぬ 大空の色 春…

釣月耕雲と禁葷食

相変わらず「山居」が良く読まれているのだが、 それでいろいろ人とも話をしてみて、 果たして道元は魚を釣って食ったのか、ということを、 もすこし突き詰めて考えてみる必要があるなと思った。 道元の時代、親鸞も日蓮も末法無戒を主張し、肉食を禁じなか…

男系女系

女帝は奈良時代に圧倒的に多く、 平安遷都してからはしばらく途絶えて、 その次は江戸時代の明正天皇まで時代をくだらなくてはならない。 後水尾天皇が春日局と家光に腹を立ててむりやり明正天皇に譲位したのだから、 やはりかなりイレギュラーな即位だった…

皇統の正統性

状況証拠的に見ると大化の改新というものはなかった、と言って良いだろう。 中大兄皇子と中臣鎌足が謀り、皇位簒奪をもくろんだ蘇我氏を滅ぼしたことになっている。 皇族と蘇我氏の間で紛争があって、 蘇我氏が排除され、孝徳天皇が即位した、という以上の意…

左翼は良い仕事をした。

私は高校生の頃、日本史ではなくて世界史をとったのだが、 それは、日本史というのは世界史が理解できないような馬鹿が取る科目だと思ったからだ。 世界史もわからないのにどうして日本史がわかるのだろう。 日本史というのはローカルで、閉鎖的で、つまらぬ…

東大五月祭

2011年ころに「帝都春暦」という小説をどこかの新人賞に応募してそのままにしているのだが、 これは関東大震災直後の主に東大本郷キャンパスを描いたものだった。 そんな四方山話を交えながら、僕は例によって、昼二時過ぎには中座して、遅い昼食をとりに学…

天皇とは何かという問題

いろんな本を読んでいるのだが、 なぜ武家政権は天皇家にとって代わらなかったのかとか、 なぜ足利幕府は京都にあったかとか、 肝心なところがわかってないと思うし、 それゆえにやはり室町時代というのはぼんやりと訳がわからず、 著書はあっても何がものす…

一緡の青蚨

一緡(いちびん、もしくは、ひとさし)の青蚨(せいふ)、と読む。 穴の開いた銅銭に通して百銭、または千文単位で結ぶひもが緡。 青蚨とは銭のこと。 一緡の青蚨とはつまり、ひとまとめにした銅貨のことを言う、らしい。 銭緡(ぜにさし)、銅貨一緡、青蚨半緡な…

原勝郎

足利時代を論ず 足利時代が多くの歴史家からして極めて冷淡な待遇を受け、單に王室の式微なりし時代、將た倫常壞頽の時代とのみ目せられて、甚無造作に片付けられて居つたのは、由來久いことである。 すでに戦前から室町時代はそんなふうに見られていたのか…

幼名と諱

幼名を調べ始めて思うのだが、 犬丸とか虎丸など、動物名に丸を付ける名前というのは非常に一般的な気がする。 それで近代でも、野口英世の母の名は鹿であったし、 女性名にも熊とか虎などがあった。 元服して付ける名前が正式な名前であるというが、 古来日…

結城氏と小山氏の関係を調べていて気づいたのだが、 結城直朝の幼名は「犬鶴丸」。 小山義政の息子に「若犬丸」(元服前に死んだか)。 小山朝郷の幼名は「常犬丸」。 小山持政の幼名は「藤犬丸」。 小山氏郷(の子?)「虎犬丸」。 氏郷が若死にしたので山…