不確定申告

tanaka0903

結城氏と小山氏の関係を調べていて気づいたのだが、 結城直朝の幼名は「犬鶴丸」。 小山義政の息子に「若犬丸」(元服前に死んだか)。 小山朝郷の幼名は「常犬丸」。 小山持政の幼名は「藤犬丸」。 小山氏郷(の子?)「虎犬丸」。 氏郷が若死にしたので山川家から成長を養子をもらい、成長の幼名が「梅犬丸」。 成長は小山泰朝の曾孫。

つまり、結城氏と小山氏には「某犬丸」「犬某丸」という幼名が一般的だったらしい。 そういう幼名を付けた他の武家の例がないわけではないが、 特に結城・小川氏に多い。 結城と言えば結城合戦。 「八犬伝」と無関係ではあるまい。 つまり犬の名を付けるのはもともとは安房ではなく下野、いや常陸の風習だったということだ。 いやいやいや、小山は下野で結城は常陸だわな。 ややこしい。

小山氏と結城氏の家系は養子縁組ばかりでよくわからん。 資料もあるようでないようで。 今も小山市結城市は隣どうし。JR水戸線でつながれている。 なんか面白いな。 一度行ったことあるがすごい田舎だ。

だんだんわかってきた。 源平合戦のころ頼朝についた武将に小山朝光があり、 彼が結城朝光を名乗る。 つまり結城氏は小山氏から分かれた。 小山氏は藤原秀郷の子孫でもとは太田氏らしい。 だが、朝光の父政光くらいまでしか確かにはたどれないようだ。 要するに小山氏も結城氏も同族で頼朝の時代に、 その住む場所によって家名が二つに分かれた、ということだな。

朝光は頼朝が烏帽子親となって元服する。 頼朝の命で義経に腰越で鎌倉入り不可の口上を伝える、 とあるから、まあ、頼朝の寵臣だったらしい。

時代は下って、 小山義政が鎌倉公方足利氏満に謀反を起こして小山宗家は断絶。 分家筋の結城家から小山家に養子泰明を迎えて家督をつなぐ。 逆に小山泰明から結城家に養子氏満を迎えて家督相続。 結城氏満が結城合戦の主役で、 氏満の子成朝が江ノ島合戦や享徳の乱の主役、というわけだ。 ふー。

そういや義経の幼名は「牛若丸」。 「丸」は「麿」「麻呂」なんだよな。 蝉丸とか。猿丸とか。人麻呂も人丸と言ったりする。 基本的には人の名、それも、万葉時代から前の名の名残なんだろうな。

「牛若丸」「犬若丸」があれば、「虎若丸」「熊若丸」「鶴若丸」「亀若丸」「馬若丸」、 「松若丸」「梅若丸」「藤若丸」「菊若丸」なんてのもあったんだろうが、 どうやって調べれば良い。

ていうか頼朝が鎌倉に幕府を開いたことによって、 それまで名字をもっていなかった、 或いは持っていたけどよくわかんなかった人が、 御家人となり、名字を持つようになって、 やっと武家というものが生まれたのだろう。 それまでは、そもそも庶民には名前がなく家系もなかった。 と、考えると頼朝はすごい。 奥州藤原氏とか、その前の清原、阿倍氏なども、 みな京都の貴族の名を借りただけで、ようは、名字なんてただの飾りだったのだろう。 三河介みたいなもんで、勝手に自分で名乗ってた。