不確定申告

tanaka0903

歴史

南総里見八犬伝

南総里見八犬伝が、足利持氏・成氏父子によって引き起こされた、 永享の乱から享徳の乱に至る、関東の騒乱を元にした伝奇小説であることを知り、 今さらながら衝撃を受けている。 古河公方のことを滸河公方(訓みは同じ)などと記している。 南総里見八犬伝…

江の島合戦

成氏が鎌倉公方に復帰するときには当然父持氏についた恩顧の家臣らを鎌倉に連れてきたわけだが、 幕府再建の名のもとに、事実上の鎌倉の領主である上杉家宰の長尾や太田は、 その所領の一部を成氏の名のもとに没収されようとした、というのはあり得る話であ…

ややこしい。

とりあえずまとめておく。 足利満兼 によれば、満兼は義満を討って自分が将軍になろうとした、という。 西国六国の守護大内義弘が乱を起こすと挙兵して上洛をうかがうが、 乱がおさまったので鎌倉に帰っている。 義満はこれに怒り陸奥国伊達政宗に反乱を起こ…

足利将軍家

こうして系図にしてみると、 足利将軍家というのは兄弟で横にどんどん分岐していて、 しかも徳川氏のように御三家とか御三卿などの区別もなく、 尊氏の子孫のだれが偉いのかという序列もないように見える。 これではお家騒動が頻発してもおかしくない。 その…

家康転封2

日本外史によれば、 家康は秀吉によって関八州に封じられたが、 実質は六州(武蔵・相模・伊豆・上総・下総・上野)に過ぎず、 下野には宇都宮氏、安房には里見氏(八犬伝の)があった。 そのほか、結城・佐野・皆川、北条氏の残党などが関東を割拠していた…

家康転封

秀吉が家康を東海道から関八州に転封したのは左遷であるとか、 居城を鎌倉や小田原ではなく辺鄙な江戸にしたのも秀吉の指図であるとか、 いろいろ言われているわけだ。 しかし、頼朝が鎌倉に幕府を開いて以来、 日本は近畿と関東の二箇所に拠点を置くのが常…

河原院

源融は嵯峨天皇の皇子だが、兄にあたる仁明天皇の養子になっている。 仁明天皇が皇后の子で、源融は庶出大原氏の子だから、この養子縁組は扶養の意味だろう。 河原左大臣こと源融が住んだ河原院はわりと豪勢な邸だったようだ。 源融の男子には源湛、源昇らが…

歴史と文学

小林秀雄の「歴史と文学」というエッセイ読んでる。少し面白い。 例えば明治維新の歴史は、普通の人間なら涙なくして読むことは決して出来ないていのものだ。 これを無味乾燥なものと教えて来たからには、そこによっぽどの余計な工夫が凝らされて来たと見る…

ドゥカス王朝の皇帝交替問題

ドゥカス王朝の皇帝交替問題 という論文を見つけたのだが、 なかなか興味ぶかい。 ま、エウドキアはフィクションなんで脚色してて別にかまわないわけだが、 この論文を読んでもらえば、だいたい史実に沿ってる、ってことはわかってもらえるだろう (めんどく…

ポントスとボスポロス

へレースポントスにポントスは固有名詞なんじゃないかと書いたのだが、 昔黒海にはポントス王国というものがあったようだ。 またアゾフ海からクリミア半島あたりにボスポロス王国があった。 イスタンブルの海峡をボスポラスというのだが、どういうつながりが…

1185か1192か

1185年は平氏が滅んだ年である。奥州藤原氏はまだ滅んでいない。 義経もまだ討たれてない。 諸国惣追捕使とか守護とか地頭とかいうのは必ずしも1185年に始まって、また、 この年に確立したとも言えない。 どちらかと言えば緊急時の臨時措置とみられていた。 …

一手間かけた

ルネサンス期にイタリアで描かれたヴィーナス像 (ボッティチェッリ作「ヴィーナスの誕生」)では、 アフロディーテーの髪は腰まである長い金髪、瞳は褐色、 ということになっているが、 古代、ギリシャやシリア、フェニキア人の髪の色は褐色か黒、 目の色も…

Basilis

この写真によれば、ローマノスは ΡΩΜΑΝΟС ΒΑСΙΛΕҰС ΡΩΜΑΙΩΝ と書かれていて、エウドキアは ЕҮΔΟΚΙΑ ΒΑСΙΛΙС ΡΩΜΑΙΩΝ と書かれている。 ローマ字表記すると、それぞれ、 ROMANOS BASILEUS ROMAION、 EUDOKIA BASILIS ROMAION となる。 つまり、東ローマの皇帝…

へレースポントス

『エウドキア』に「ヘーレスポントス」と書いていたのは「へレースポントス」の間違いだった。 修正せねばならない。 へレースポントスは海峡に名付けられた名ではなく、あの細長い海に付けられた名のようである。 意味はずばり「ギリシャの海」。 ヘラス、…

班田収受

班田収受というのが基経の時代、元慶3年(879年)に行われた。 実に50年ぶりだったという。 これは明らかに基経主導だっただろう。 元慶官田など。 元慶2年(878年)出羽国蝦夷俘囚の反乱というのは班田収受を強行しようとしたことに対する反発で、 それを鎮…

シチリア

ノルマン人がシチリアを征服したときにシチリアはすでにアラブ人とギリシャ人による海運立国であり、同じ海洋民族でもありかつ傭兵でもあったノルマン人がその支配者として乗っかった形になったのだと思われる。 ノルマン人の数はおそらくそんなに多くはなく…

陽成天皇暴君説

陽成天皇が暴君だったかどうか、判断するのは難しい。 同時代資料としては『日本三代実録』があるが、これには大したことは書かれてないようだ。 ぼかして記述してあるというが、 陽成天皇に不利な部分がぼかしてあるのか、有利なことがぼかされているのか、…

藤原淑子

藤原淑子。長良の娘、基経・高子の異母兄弟。 臣籍に下った定省王(源定省、後の宇多天皇)を猶子とする。 淑子さんも宇多天皇の即位に運動したかもしれんね。 でもそれは弱い気がする。 菅原道真公 光孝天皇が崩じたとき,尚侍の淑子は直ちに皇位の印の剣璽…

源氏を賜った皇女

普通、皇女や内親王は、一般人と結婚するときに、 皇籍を離脱して、そのまま夫の姓になる。 たとえば、清子内親王は、結婚したあと、 区役所に婚姻届を出したと同時に皇籍離脱して、黒田という姓になったことになっているようだ。 これが「臣籍降嫁」という…

春秋公侯伯子男

気になったので主に中文ウィキペディアを参考にして調べてみたのだが、 春秋時代(西周)当初の爵位というのはこんな感じだったらしい(一部戦国が混じってるかもしれない)。 公国 : 周、宋、虢、州、虞、召、 侯国 : 魯、斉、陳、唐、蔡、衛、邢、随、杞、…

産業革命はやはりすごい

アメリカ建国とかフランス革命なんてのは、産業革命より前だから、 実は単発の事件で終わる可能性があった。 実際フランスではなんども王政復古したり帝政になったりしている。 アメリカも南北戦争でどうなるかわからんかった。 しかし、産業革命があり赤色…

平忠盛

鳥羽院は、和歌だけでなく、芸能全般に興味がなかったっぽいな。 待賢門院は、芸者そのものであったから、鳥羽天皇は困っただろう。 白河院の寵妃・祇園女御に鮮鳥を献上し、父に続いてこの女御に仕えた。 平正盛、忠盛が親子で祇園女御に仕えたと。 鳥羽天…

待賢門院・藤原璋子

待賢門院・藤原璋子だが、この人はかなりおかしい。 父・藤原公実が七歳の時に亡くなって、 白河天皇と祇園女御の養女になる。 なぜ? なぜ公家の娘が天皇と愛妾の養子にならねばならぬ。 母は左中弁・藤原隆方の女で堀河・鳥羽両代の乳母・光子。 どうも白…

保元新政

姝子内親王に 7月2日、鳥羽法皇が崩御する。直後に起こった保元の乱で崇徳上皇は配流となり、後白河帝・守仁親王の体制が確立した。信西が政治の主導権を握り、保元新制・記録所の設置・内裏再建などの国政改革を推進する。 とある。 保元の乱の後、信西が、…

西行秘伝

『西行秘伝』そろそろ無料キャンペーンでもやろうかと思うのだが、 なかなかfixしない。 調べてみるといろんなことがわかってきて、 筋書きもどんどん変わってしまう。 二条天皇の養母・美福門院が1160年に死んだとき、二条天皇はまだ満で17歳だったから、 …

ランゴバルド族

この図のように、 ランゴバルド族はわざわざスカンジナビアからイタリアまで移動してきたのだという。 まあ、普通に考えると、ゲルマン民族の移動というのは、ノルマン人による南イタリア征服と同様に、 中央アジアの遊牧民族に圧迫されたローマ人とかフラン…

Regnum Italicum

カール大帝のフランク王国から遺産分割でイタリア王国というのができたが、 イタリア王の血統が絶え、東フランク王オットー1世がイタリア王を兼ねることとなり、 オットーが神聖ローマ皇帝を称することによって、 神聖ローマ帝国となった。 この時期、Kingdo…

Manfred del Vasto

Manfred del Vasto は Adelaide del Vasto の父、というしかほとんど知られてないのであるが、 Manfred という名は Man + Fried (平和な男)という意味であるから、 ラテン系ではなくゲルマン系の名前であることは確かである。 del Vasto の Vasto は南イタ…

山ノ内と扇ガ谷

たまたま梅雨の晴れ間で日差しが強くて良い写真が撮れそうなんで、 世界遺産に相手にされなかった鎌倉に行ってみた。 JR横須賀線北鎌倉駅辺りが山ノ内であり、 その南隣、北鎌倉駅と鎌倉駅の間くらいが扇ガ谷。 地名表記は「山ノ内」と「扇ガ谷」であって、…

改暦

『明治天皇記』明治4年正月には、寅の刻四方拝、などと書いてあるが、 明治5年正月には午前4時四方拝、とある。 グレゴリオ暦への改暦は明治5年12月3日の翌日を明治6年1月1日とすることで行ったとされるが、 すると時刻の方が先に西洋風に改められた、という…