不確定申告

tanaka0903

2013-09-14から1日間の記事一覧

古今集の時代

古今集は平城天皇から醍醐天皇までの歌集なんだが、 平城天皇の歌が残っているのは、たぶん、 平城天皇から在原氏が出て、在原行平が宇多天皇から歌を集めるように依頼されたからだろう。 次の嵯峨天皇は和歌には何のシンパシーもなかった。 嵯峨、淳和、仁…

源氏を賜った皇女

普通、皇女や内親王は、一般人と結婚するときに、 皇籍を離脱して、そのまま夫の姓になる。 たとえば、清子内親王は、結婚したあと、 区役所に婚姻届を出したと同時に皇籍離脱して、黒田という姓になったことになっているようだ。 これが「臣籍降嫁」という…

おもひきや

丸谷才一が『新々百人一首』で、 小野篁の歌 思ひきやひなのわかれにおとろへてあまのなはたきいさりせむとは この「おもひきや・・・とは」という倒置表現が、 漢詩の語順の影響だというのだが、はてどうだろう。 たしかに冒頭いきなり「おもひきや」とやっ…

亭子院歌合

勝、負、持(ぢ)は引き分け。 左の奏は巳時にたてまつる。 方の宮たち、みな装束めでたくして、州浜たてまつる。 大夫四人かけり。 右の州浜は午時にたてまつる。 おほきなるわらは四人、みづらゆひ、しがいはきてかけり。 かけり、というのは担いだという…

大津皇子

日本で最初に漢詩を作ったのは大津皇子ということになっているのは『懐風藻』の冒頭にいくつか大津皇子として漢詩が載っているからだ。 大津皇子がほんとに漢詩を作れたかはあやしい。 弘法大師が温泉見つけたようなもんだと思う。 が、しかし、作ったかもし…

小野篁

小野篁は菅原道真と同様に和歌も漢詩もうまかった人ということになっているのだが、 漢詩人というには詩がそれほど残っていない。 たとえば、頼山陽なら一冊の詩集になるくらい大量に詩を作っているし、 当時も菅原道真や嵯峨天皇は大量に詩を残している。 …