将門記
ふーむ。 行方(なめかた)郡というのは、今の霞ヶ浦と北浦に挟まれた半島部分で、その南端が潮来、西岸に行方市がある。
郡の西の渡し場から望む行方の海には、海松や、塩を焼く藻はあるが、魚に珍しいものはなく、鯨も見ない。
とあるから、行方の西、つまり今の霞ヶ浦は、塩辛い海だったが、鯨は来ない。 しかるに、麻生と呼ばれた行方郡南部、潮来の北辺りでは、
池の南の鯨岡は、古へに、鯨がここまではらばって来てそのまま伏せって息絶えた場所である。
とあるから、この辺りまで鯨が来なかったわけではなさそうだ。
大岡昇平『将門記』にはここらの内海のことを「流海(ながれうみ)」と呼んだという記述があるが、 ググっても全然でてはこない。 しかし、wikipedia の「香取海」の項を見ると、
流海(ながれうみ)、浪逆海(なさかのうみ)、内海(うちつうみ)とも呼ばれた。
などと書かれている。しかし、いずれも常陸国風土記に出てくる名称ではない。学術用語なのか。 将門記の記述でもよくわからない。
いざ調べてみると、わからんことだらけだ。