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tanaka0903

夜想曲集

「老歌手」 「降っても晴れても」 「モールバンヒルズ」 「夜想曲」 「チェリスト」。

「老歌手」に出てくるリンディ・ガードナーは「夜想曲」にも出てくるので、この二つは続き物とみてよい。 まだリンディと、「チェリスト」に出てくるエロイーズ・マコーニックのキャラは微妙にかぶっており、 エロイーズは謎めいているがリンディはわかりやすいキャラなので、エロイーズを理解するたすけになるかもしれない。 で、明らかに、『わたしたちが孤児だったころ』に出てくるサラ・ヘミングスとリンディは同じキャラであり、 「降っても晴れても」に出てくるエミリも似たような性格だから、 サラ、リンディ、エロイーズ、エミリに共通するヒロインのプロトタイプというものが、カズオ・イシグロの中にあるのはほぼ間違いないと思う。 つまり、出世欲が強くて、有名人と結婚することに異様なこだわりを持つ女。 『わたしを離さないで』に出てくるルースもわりとそういうタイプ。 で、こういう女を主役にするってのは、 カズオ・イシグロの原体験に基づいている、つまり、彼が昔好きだった実在の女性を反映しているのだと仮定できなくもないのだが、 実はイギリスやアメリカの小説ではありがちなことであり、そういうセレブに憧れるアサハカな女というのはざらにいるのに違いなく、またあちらではそういう女を描けば小説は売れるものなのかもしれず、カズオ・イシグロの発明というわけではないのかもしれない。 日本と違ってむこうはもっとウーマンリブとか女性の人権とか女性の社会進出というものが盛んなのに違いなく、 日本みたいに一途で控えめな女というのはむしろ社会的にはタブーで、 そんな女性を描こうとすると時代錯誤が女性差別みたいに見られてしまうのかもしれない。 実際、結婚して離婚する夫婦が出てくるハリウッド映画はいくらでもある。離婚ということがネタになりやすいのだろう。しかし日本ではいまだに、シンデレラストーリーみたいに、結婚してめでたしめでたしみたいな話か、さもなくばボーイミーツガールみたいな話しか受けない。中年もしくは老夫婦が主役で夫婦生活がうまくいってないとか離婚するとかそんな話、日本ではまず受けない。あほみたいに、いつもいつも、若い作家が書いた、いまどきの若者に受けそうな作品ばかりが取り上げられる。いや、日本でも山田詠美あたりがこつこつ書いてるのかもしれんが、話題にはならんわな。

「老歌手」はまあ普通に面白くちゃんとオチもあるので、読んでみると良い。 「チェリスト」は、主人公は単に観察者として出てくるだけで、自称チェリストの大家エロイーズと、ちゃんと音楽家としての教育を受けたティボールが意気投合しちゃうって話なんだけど、カズオ・イシグロはネタばらしせずにこの小説を終わらせてしまう。 ティボールはエロイーズの教授を受けてより優れた演奏家になったのか、それとも才能を潰されてしまったのか。 エロイーズは、チェロを演奏することはできないが優れた指導家であったのか。 どちらとも解釈できるように書かれている。 でまあ、もとミュージシャン志望であったカズオ・イシグロとしては、優れた音楽家なんてものは結局誰にもわからん。 プロデュースする人の力次第かもしれない、本人の営業の力かもしれない、運とか人間関係によるものかもしれんと言いたいわけで、 『わたしたちが孤児だったころ』もある意味そういうことが言いたかったと言えなくもない。 『わたしを離さないで』で臓器提供猶予のために一生懸命絵を描くが無駄骨ですげーがっかりした、みたいな話も同じかもしれない。

思うに、バッドエンドのほうに落としたいときには、カズオ・イシグロは最後でネタばらしして、読者をぎゃふんと言わせる。 ハッピーエンドにもっていきたいときには、わざと結末を書かずに、バッドエンドもあり得るみたいな余韻を残したがる、のではなかろうか。

「モールバンヒルズ」も、何が言いたいか不明だが、ミュージシャンが才能を認められる確実な方法はなく、才能があるかないかを確かめる方法もないってことがいいたいだけなのかもしれない。

夜想曲」は長いだけのドタバタコメディで一番長いんだが、一番どうでも良い感じだった。