不確定申告

tanaka0903

崩し字が読みたい。

このブログの人気記事 裏柳生口伝 はおそらく裏柳生口伝でググった人がみんな見に来てるのじゃないかというくらい、 最近のびが速い。

伊東静雄これ以上にないくらい完璧にデジタルテキスト化した人 がいたのではずかしくて非公開にした。 これはすごい。 青空文庫に収録すべきだと思う。 収録しなくても永遠に(?) archive.org で読めるだろうとは思うが。

最近ランクが上がってきているのが 明治天皇御製集。 これは「歌詠みに与ふる物語」 というのを書いている最中に調べたことをリアルタイムで書いたもの。 「歌詠みに与ふる物語」は現在非公開。 高崎正風を主人公にした小説だが、なかなかうまくまとまらない。

明治天皇昭憲皇太后の歌をせっせと記録したのはたぶん税所敦子だろうと思われる。高崎正風はそんなにまめな性格ではないだろう。

そう。あの膨大な量の明治天皇昭憲皇太后御製が残ったのは、 税所敦子という女官のおかげだと思う。 孝明天皇光格天皇も、江戸時代の歌が好きな天皇はみな、 膨大な歌を詠んだが、それをきちんと残してくれる人がいなかった。 ただそれだけなのだと思っている。

明治天皇の和歌の由来。 そう、これなんだよね、これを考え始めてからわからなくなった。 だから書けないの。 明治天皇は誰の影響を受けてあのような歌を詠んだのかということ。 まだ誰もその正確な答えをみつけていない。

薩長閥の高崎正風から香川景樹の影響を受けた、それがすべてだ、と言うのはたやすい。 高崎正風や八田知則、香川景樹だけでは説明つかないところが多い。 父孝明天皇の影響もよくわからない。 孝明天皇光格天皇の影響を受けているのではないかと思うがこれもよくわからない。 光格天皇御製を調べようと思っても崩し字のテキストしかなくて私には読めぬ。 崩し字が読めるようになりたい。

高崎正風が自分の前任だと言っていた三条西季知の影響はほとんどないと思う。 一番初期には后・一条美子(昭憲皇太后)の影響を受けたことは間違いないと思う。 明治天皇が即位して一条美子を后としたころには皇后の方がはるかに歌はうまく、 すでにほとんど完成の境地に達していたからである。

蛍雪苦学の志を断って。 この頼山陽の息子の頼三樹三郎が作った「百印百詩」はその名の通り百あるはずなんだが、 デジタルテキスト化されているのはその一部であり、 全部読もうと思うとやはり手描き文字のテキストしかない。 読めない。 とても困る。 今更書道をやっておけばよかったと悔やんでも間に合わない。

池田雅延氏 小林秀雄を語る。 これも誰がどこから見つけて読みに来ているのだろうか。 ランク入りしている。

全体的に、和歌か国学の記事が読まれているのは、良い傾向だと思う。