不確定申告

tanaka0903

中山家

明治天皇記』嘉永五年、明治天皇出生。 当時は祐宮(さちのみや)と呼ばれていた。 父は孝明天皇、母は中山慶子典侍というから中宮や女御の次くらい? 生まれた場所は慶子の実家、中山八邸。 中山家は藤原氏の公家だが、二百石というから、かなり貧乏だ。

慶子の父が中山忠能。 忠能の母は正親町三条実同の娘・綱子。

忠能

天照す神のみまごを我がやどのものとよろこぶけふのあやしさ

綱子

けふのぼる影くもらねば日の御子のてらしますらん天が下をば

日の御子はここにいませり天津空寒き夜あらし心して吹け

七十の老婆がうゑにしたちばなは君が八千代の春をまたなん

「ななそじのおうな」と読ませたいのか。それとも「ななじゅうのろうば」なのか。 いずれにしても面白い歌。

我が命生きかへるよりうれしきはこの日の御子の今日のお祝ひ

とまあ、特に綱子、つまり明治天皇のひいおばあちゃんの喜びようがものすごい。 慶子の歌というのがみあたらない。当時まだ満16歳くらいだから、無理はないかも。 綱子は正親町三条家の娘だし、年も年だから、まあ歌は習っただろう。 明治天皇の外祖父・忠能は特に歌人として目立った人ではなかったようだ。 だが、孝明天皇崩御した七日忌に詠んだ歌

雲のうへに君がなみだや降りぬらむ晴るるひまなき春雨のそら

など、なかなか良い。

全体的にキリスト教の賛美歌のようだが、 もともとは賛美歌を翻訳した人たちが和歌を真似たのであり、 その後和歌は忘れられてしまった。