柳生宗矩
かなりの喫煙者であり、沢庵より癌になるので煙草を吸うのはやめるよう忠告を受けている(『沢庵和尚書簡集』)。
とあるが、これはいかにもおかしい。 当時、煙草が(肺)癌の元であるなどという説があるはずがない。
たはこ御やめ候はすハ、むねのいたみやみ申間敷候(もうしまじくそうろう)。たはこにて、かくに皆々成申候(なりもうしそうろう)
つまり、煙草をやめないと、胸の痛みはやまないでしょう。煙草のせいでみんなそのようになるのです、と言ってるだけではないか。
なんか知らんが最近の人がそう書いたことをそのまま載せてるっぽいよね。
幕末の頃の剣術というのは、割と知られているようだが、 もっと江戸中期から後期にかけての道場というものが、 どのようなものであったか、 どのような建築であったか、 どのような教え方であったか、 調べようとすると案外わからない。
剣道日本に講武所の記事が とあるが、講武所は幕末であるし、剣術だけの道場ではあるまい。 近代兵器を教えた道場だと思うのだが。
玄武館道場で8間四方
とあるから、ざっと60坪くらいだろうか。 お寺の本堂くらいの広さだろうか。 どういう構造だったのだろうか。 玄武館も幕末で一番大きな町道場だったわけだから、 その他の道場はもっと小さかったのにちがいない。
ま、ともかく、江戸時代の道場の考証はけっこうむずかしい。 相撲の稽古部屋が最も古態を残すといわれればそうかもしれんと思う。
思うに、戦というものはほとんどが夜戦である、当たり前だが。 従って初期の稽古というのはもっぱら屋外で行われていただろう。 ところが幕末になると町人や農民などの弟子があまりに増えすぎて、 それらを収容するための娯楽施設として稽古場、つまり道場というものが出来たのではなかろうか。 竹刀や防具もまた同じ。