不確定申告

tanaka0903

マイエンフェルト駅は無かった?

ハイディのドイツ語原文を検索しても、Bahnhof Maienfeld というものは出てこない。 Bahnhof という単語は一箇所だけ出てくる。 ドイツ語の Wikipedia を調べていると、どうもマイエンフェルト駅とかラガーツ温泉駅などというものは当時はなかったらしく、最寄り駅としては Bahnhof Landquart というものがあるのみ。 この Landquart というのはマイエンフェルトからライン川をさかのぼって支流がドムレシュクとプレッティガウに分かれる分岐点にある。 ていうかマイエンフェルトというよりはプレッティガウという方が近いと思う。 思うのだが、Maienfeld と Landquart の間に Malans とか Jenins という小さな集落がある。これらがデルフリのモデルなのだろう。 そして、山小屋からデルフリを抜けてLandquart駅に向かったとすれば、Malans が一番デルフリの場所としてはふさわしいように思われる。

Landquart駅が出来たのは1858年だが、このときグラウビュンデン州の州都Churからサンクトガーレン州までライン川沿いに鉄道が延びただけであり、途中 Sargans からチューリッヒまで鉄道が延び、これによってフランクフルトとマイエンフェルトの間が鉄道で結ばれたのは 1875年のことらしい。

ラガーツ温泉ができたのは 1870年のことである。 フランクフルトからお金持ちがラガーツ温泉まで保養にきたというのは鉄道できたのに違いなく、それは1875年から後となる。 となるとハイディがアルムおじさんに預けられたのは1876年以降となり、このときハイディが8才であるから、ハイディの生まれた年はやはり1868年くらい、ということになる。

まあともかくクララのおばあさんは開通したばかりの鉄道でラガーツまで遊びに来ていたというわけだ。 観光客はたぶん、Landquart駅ではなくて Sargans駅からラガーツに馬車か何かで移動したのだろうと思う。