不確定申告

tanaka0903

漢詩

毛沢東の七言律詩 人民解放軍占領南京。 少し面白い。

七言律詩は一二四六八で押韻し、初句は押韻してもしなくても良いらしい。 二句目だけ「江」で、残りは「陽」。 「江」と「陽」はいわゆる通韻ではない。 「江」と通韻できるのは「東」「冬」だけ。 「陽」には通韻がない。 しかし現代中国の普通語では「江」は第一声の -ang、「陽」は第二声の -ang、 平仄としてはどちらも平声なので、だいたい同じ、ということなのではなかろうか。 などと考えてたら、上のリンク先にはさらに詳しい解説があった。 「詞韻」としては許容されているのか。 なるほど。

「慷慨」を「慨而慷」としたのはまず音を三つにしなくちゃならなかったのと、 「慷」で押韻したかったのと、あとは平仄を合わせるためだろう。 なんかかなり苦心しているのがわかってほほえましい。

律詩では三四句と五六句が対句になっていなくてはならないらしい。 なんか八股文(というより四股文)みたいだな。 頭があって、尾があって、真ん中に四つ足があり、それぞれ対になっている。

「虎踞龍盤」とはつまり「竜虎盤踞」、「天翻地覆」とは「天地翻覆」と言いたいのだろう。 入れ替えたのはたぶん平仄を合わせるため。これはまあ、対句と言えば対句かもしれない。 しかし、「宜將剩勇追窮寇」と「不可沽名學覇王」が対句になっているだろうか、はて。

なんかわかってくるとなかなか楽しい。

森鴎外漢詩がうまかったのではないかと思い、いろいろ探してみているが、 数はあるようだが、なかなか感心するものがない。

開釁当年事悠々
滄桑之変喜還愁
誰図莽草荒煙地
附與英人泊萬船

たとえばこれは香港をテーマにしたものだそうだが、「滄桑」と「莽草荒煙地」とはつまり同じことを言っているわけで、 くどい。 どうもうまい詩ではない。 ルートヴィッヒ二世やガリバルディを詠んだ詩もあるが、あまりぱっとしない。 なんでこんな詩をわざわざ作ったのか、 それよか、夏目漱石漢詩の方がまだ漢詩らしくて良い。 あと、大正天皇の一番有名な漢詩遠州洋上作」だが、

夜駕艨艟過遠州
満天明月思悠悠
何時能遂平生志
一躍雄飛五大洲

悪くないが、「一躍雄飛五大洲」は西郷隆盛の「豪氣將呑五大洲」の焼き直しに過ぎないし、何より「州」と「洲」で押韻するのは少し苦しい気がする。 明らかに西郷隆盛の方がずっと詩のできが良い。 大正天皇が21才で皇太子の時に作ったものを伊藤博文が新聞に掲載したというのだが。

でまあ、思うのだが、明治時代の人たちはばんばん漢詩を作ったのだが、 それは今我々が漠然と想像するように、 明治の文人(あるいは武人)たちが今より遙かに漢学の素養があった、からではあるまい。 彼らは彼らなりに努力したのだ。 しかも、今は学問も整備発達しているから、江戸時代や明治時代くらい漢文や漢詩を作れるようになるのは、 それこそ英語や中国語などの語学を習得するよりはずっと簡単なはずだ。 明治時代と今では教養のレベルが違うんですよ、とわかったようなことを言われて、 はあそうですか、と何もしないうちから諦めてしまっている。 江戸時代ってずいぶんヒマがあったんですね、漢詩なんていう役に立たないものをもてあそんでられるなんて、我々はそんな悠長なことはやっておれない、と。

暗記力や詩才で官僚を登用したから中国は衰退したのだとか、科挙のせいにされるのも、 同じような理屈だ。 『儒林外史』を読むとわかるが、単なる文人墨客は科挙には通らない。 定型文、今で言うところの公式文書やビジネスレターのようなものがきちんと書けるかどうかが見られたのだ。 事務官が持つべき能力としてはしごく当然なものだ。

今の人が漢詩を作れなくなったのは単に戦後民主主義教育のせいだと思う。 あとはやはり時代が動いているから面白い詩ができやすい。 動乱の渦中にいるから内容が奇抜だ。 頼山陽を教えず、乃木希典西郷隆盛などの、血糊の付いた日本刀を振り回しているような詩を教えない。 ただ唐詩選の有名な詩ばかりみていては、永久に詩は作れるようにならない。 江戸・明治の文人たちの詩の方がずっと親近感があり、自分たちも作ってみようかとか、自分にも作れるのではないかという気になる。

それに今は便利なあんちょこ本がなくなってしまった。 詩韻の分類表とか。 漢和辞典はまったく漢詩を作るのに向いてない。 和歌に類題集があったように、漢詩にもそういう作詩のとき参考にするための解法集があったのである。 たぶん、毛沢東も使ったのに違いない。

定型詩や文語というものが、ぞんざいに扱われ、まるで現代語の自由詩の方があらゆる点で勝っているとするのが今の風潮だ。 そんなことはない。人間、四十年五十年も生きているとだんだんコツがわかってくる。 高校生にいきなり作らせるのは無理かもしれんが、ある程度知識が蓄積された中年以降のオヤジにとって、老後の楽しみくらいにはなる。

まったく同じことは和歌にも言えるのであって、万葉集古今集新古今集の和歌、小倉百人一首の和歌ばかりみていても、 けっして和歌は詠めるようにならない。 明治・江戸時代にいくらでも良いサンプルがあるのに、惜しいことだ。

漢詩を学べば中国語習得の参考にもなる。 実用性だってないわけではない。