家名と姓
佐藤賢一『カペー朝』を読む。 「ユーグ・カペー」はユーグが名前でカペーが名字だと思うが、 カペーはあだ名にすぎない。 ユーグの家系はロベール家と呼ばれるが、ロベールも単に、 代々ロベールという人が当主になったという程度の意味であり、 ロベール家というのは何かおかしい。 ブルボン家をルイ家というようなものだ。
ただ、セルジューク朝とかオスマン朝などという。 これらは高祖の名前を王朝の名前にしている。 だが、家名ではない。 スレイマーン・オスマン(オスマン家のスレイマーン)などとは言わない。 そもそも中東の人名には姓がない。 父の名を姓の代わりに使うだけだ。
メロヴィング朝とかカロリング朝などとも言う。 これも高祖がそれぞれメロヴィクス、カールだからであり、 家名でも姓でもない。
中世の西ヨーロッパでは領地の名前が姓となり家名となっていく。 ブルボン家やハプスブルク家など。 ルイ・ブルボンとは普通言わないが、言ってもおかしくない。 ブルボンはブルボネーという地名に由来するし、 ハプスブルクという地名ももとはスイスにある。 ヨーロッパでは貴族や王族と言ってもつまるところは土地の所有者というにすぎない。 土地を相続するのが国であり王朝に他ならない。 日本の封建領主も比較的これに近い。
東ローマ帝国では、おそらくかなり古くから、 始祖の名前を姓とした家という制度が確立したと思われ、 姓が王朝の名前になっている。