不確定申告

tanaka0903

初句は最後に

千人万首は、むろん愛読しているサイトだが、 つい最近 実際の歌の作り方 などが書かれたようだ。 そこに「初句は最後に決める」「歌は初句から順に作るものではない」などと書いてあり、まあそりゃそうだわな、などと思う。 こういうことは、実際に歌を詠む人でないと考えないことだろう。 歌を鑑賞しているだけだと、その歌の句が、どういう順番で思いついて配置しているかなどということまで、想像しない。

よくあるパターンとしては、最初の五七と、次の五七は、七五調で詠むときは無理だが、五七調で詠むときには、 たいてい入れ替え可能なわけだから、たとえば

鳥が鳴くあづまの国に 呉竹の世に出でむとて 二とせ経たり

呉竹の世に出でむとて 鳥が鳴くあづまの国に 二とせ経たり

でも良いわけだ。 なんとなくふと思い浮かぶことばが、最後まで初句にとどまることはまれではある。 で、結論は最後までもたせた方がよく、初句に結論が出ていて最後まで緊張が継続することは難しい。 初句は軽くて良いという場合もあるし、初句はただの枕詞ということもあるが、 初句と結句で全体を挟んで中は軽く、というのもよくやる。

阿仏尼の言う、最後の七七に山場を持ってくるというのは、それでも良いのだが、 上の五七五と下の七七が分離する原因にもなる。 そうするとよくある陳腐な配置になりがちだと思うので、陳腐でも良いわくらいのぬるい気分のときには使う。

初二三四結とあって、「初二三」がつながってて、かつ、「三四結」もつながっていて、 全体として五七とも七五調ともつかないのが良いか。しかしこれは普通は五七調と言う。 たとえば

富を得る すべもなき身は 浮かれ世に いとまもあらで 過ぐすべらなり

あるいは初句切れとか四句切れのように、普通余り切れないところで切るのも好きではある。