鎧袖一触
岩波書店新日本文学大系43保元物語、平治物語、承久記、を読み始める。
「もっとも古態をとどめる」写本だというので、おそるおそる読んでみると、
又、清盛ナンドガヘロヘロ矢ハ、何事カ候ベキ
としか書いてない。 j-textsの保元物語だと
まして清盛などがへろへろ矢、何程の事か候べき。鎧の袖にて払ひ、けちらしてすてなん
となっており、なるほどこれならば「鎧の袖」の話が出てくる。 さらにここから頼山陽の記述「鎧袖一触」とつながる。 しかし古い版ではそもそも「鎧の袖」自体が言及されていない。
なるほどなあと思った。 面白いところは、あとから誰かが付け足すわけだなと。 最初から疑ってかからんといかんわけだな。 そう考えると頼山陽の「意訳」もまた許される範囲だとも言える。 もともとが一種の改竄なわけだから。 いやそもそも為朝の活躍があったかどうかもあやしいわけだが。
為朝は14才から17才までの間に鎮西九国をすべて従えて、 上から言われるわけでもないのに勝手に鎮西総追捕使と称した、などと書いてあるが、 常識的に考えてそんなことができるわけがない。 仮に太宰府に反してそんなことをやろうものならば、 平将門が関東でやったこととどれほどの違いがあるか。
保元物語の中の為朝はそうとう誇張されているようだ。 保元の乱でさえ、ほんのちょっとしか活躍はしておらず、 なので流罪で済んでいるのかもしれない。
しかしまあこんなハードカバーの小難しい本を喜んで読むようになるとは思いもしなかった。