不確定申告

tanaka0903

本歌取り

追記参照。 模倣歌だから贋作とは言えないようだ。

出でていなば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな (源実朝(吾妻鏡による))

ながめつるけふは昔になりぬとも軒端の梅はわれを忘るな (式子内親王)

似てる(笑)。似すぎ。参考:

東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな (菅原道真)

式子内親王は1201年没。 源実朝は1219年没。 怪しすぎだろwww。 まあ、式子内親王の歌を実朝が知ってて本歌取りしたかもしれんがな。 本歌取りにしてはでき悪すぎるし、 実朝が本歌取りするとしたら万葉集とかそういうずっと古典ばかりだと思うのだよね。

吾妻鏡該当部分、建保七年・正月二十七日:

次覽庭梅、詠禁忌和歌給。

出テイナバ主ナキ宿ト成ヌトモ、軒端ノ梅ヨ春ヲワスルナ

初出は「六代勝事記」というものらしく、成立は1220年代だと言う。 まあ、実朝暗殺の直後ではあるな。 式子と道真の歌を足して二で割る的に適当に作ったんじゃねーのか。 実朝ほどの天才歌人がこんな無様な合成作品を作るとは思えん。 だいたい本歌取りとしても一句か二句を引用するので三句ほとんどまるまる採ってしかも道真の歌からもとっている。 まともな歌人ならこんな取り方はしない。 絶対しない。 しないと思う。 だからやっぱり偽作だな。

鶴岡八幡宮のウェブサイトにも載っているのだが・・・。

自らの行く末を予感しながらも悲劇の路を歩まねばならなかった実朝公の孤独な想いをこの一首に認めています。

うーむ。 まあ、わかりやすいんだよな、予定調和ってやつは。 でも予定調和はたいてい後世の作り話。 そういう意味でもわかりやすい。

cf. 千人百首 源実朝

定家「近代秀歌」:

彼の本哥を思ふに、 たとへば五七五の七五の字をさながらをき、 七ゝの字をおなじくつゞけつれば、新しき哥に聞なれぬ所ぞ侍る。 五七の句は、やうによりてさるべきにや侍らん。 たとへば、「礒のかみふるき都」「時鳥鳴やさ月」「久かたのあまのかぐ山」「玉ほこの道ゆき人」など申すことは、 いくたびもこれをよまでは、哥いでくべからず。 「年の内に春はきにけり」「袖ひぢてむすびし水」「月やあらぬ春や昔の」「さくらちる木の下かぜ」などは、 よむべからずとぞをしへ侍し。
次に、今の世に哥をならふ輩、たとへば、世になくとも、昨日けふといふばかりいできたる哥は、 一句も其人のよみたりしとみえん事をかならずさらまほしくおもひたまひ侍なり。

これを解読してみると、「五七五七七」のうち「五(七五)七七」の括弧の部分(七五)だけを本歌から取り、 あとは自分で作るというのは良い。

「(五七)五七七」の括弧の部分(五七)を本歌取りするのは、場合によっては良いが悪いこともある。 たとえば「礒のかみふるき都」「時鳥鳴やさ月」「久かたのあまのかぐ山」「玉ほこの道ゆき人」 などは(一種の定型句、序詞なので)これを何度も利用しないと歌などできはしない。 しかし、 「年の内に春はきにけり」「袖ひぢてむすびし水」「月やあらぬ春や昔の」「さくらちる木の下かぜ」 などは(特定の歌に固有の言い回しなので)詠んではならない。

今存命中の人とか最近亡くなったけどつい最近詠まれた歌などは一句でも本歌取りしたように見えてはならない、となるか。

しかしまあ、自分で歌を詠んでみると笑点の都々逸か川柳みたいで、 なんとも格好がつかないね。