新聞
新聞って、 私が高校生の頃からすごく偏ってた印象があるんだが、 高校教師とかもだいたい同じ辺りにいて、 日教組とかで、 そうすると周りの文学少年とかの立ち位置もだいたいそのへんなんだが、 まあ、昔はそういう読者が多いから新聞もそういうマーケティングをしてたんだと、 今はそう思う。 新聞が大衆をひっぱっていってたというよりかは。 両方かな。
で、一度そういう路線で突っ走っちゃうと、 よーし、俺んとこはあそこよりもっと左にいくぞーとかよくわからん競争になる。 うちはもっと謝罪しますよとか。 うちは土下座しますよとか。 死んでお詫びしますとか。 一億総懺悔とか。
新聞勧誘するときも、 うちはあそことかあそこよりずっといっちゃってますから、とかいうと、 極端が好きなひとというのは割といるから、ていうか宣伝しやすいし買う側もわかりやすいから、 じゃあとりましょうと。
うちはあそこよりももっとマイナスイオン出しますよー、とかと同じで。
そういうことを何十年も続けてしまうと、 読者がどんどん離れていっても編集部の人間は戻って来れない。 もともとマーケティングで始めたものがアイデンティティになっちゃって、 修正がきかない。 地方新聞ほどその傾向が強いと思う。 コミュニティが小さいから、注意してくれる人もいなきゃ、注意されても聞きやしない。
大手なんかだと案外日和見して、いやうちは昔から右でしたとか言い出す。
ていうかまあいろんな理由で仕方なく新聞読むのやめちゃって、 産経しか読む新聞がなくなって、未だに産経読んでる。