不確定申告

tanaka0903

本居宣長

wikipedia 本居宣長 を読んでいると非常に腹ただしくもあり、いろいろいじりたくもなるのだが、 いじり始めるときりがないからやめておく。

まず不満なのは17歳の時に和歌に目覚めたこと、 その後も和歌の修行に執心したこと、がまったく書かれてないこと。 京都遊学中に小沢蘆庵と出会ったことも書かれてない。 手落ちだ。

医学を堀景山以外の人に習ったように書かれているが、 堀景山は儒学者というよりは医者であって、 宣長は医者になるために堀景山に学び、ついでに儒学も学んだのである。 ニュアンスが異なる。

宣長の生涯にわたる恋愛生活は、大野晋により明らかになった面が大きい。

これは大野晋の妄想なのだが(彼の妄想癖は有名。日本語なんとか起源説、とか)、これを読んだ人は鵜呑みにするだろう。

紀州徳川家に「玉くしげ別本」の中で寛刑主義をすすめた。

これのどこがそんなに重要なんだ。

当時の江戸までの道中の地図資料のいい加減なところから、「城下船津名所遺跡其方角を改め在所を分明にし道中の行程駅をみさいに是を記」すとして「山川海島悉く図する」資料集の『大日本天下四海画図』を起筆した。

いやおまえ、そんな些細なことはどうでもいいからさ。 そんなことまでいちいち書いてたらほかにもいろんなことかかなきゃならなくなるよ。

要するにこれを読んで宣長のことは半分もわからん、むしろおかしなステレオタイプを覚えてしまう、ということだ。 なんだろね。 日本史の教科書の記述ってしょせんこんなもんなの?

たぶん書かねばならないことは、宣長が松坂の木綿商の次男に生まれ、 11歳の時に父が死んだということ。 15歳で1年ほど江戸の叔父の店で修行したこと。 17歳で和歌を学びはじめ、 18歳で紙商の養子になった(次男だからだろう)こと。 20歳で養子を離縁されたこと。 21歳で兄が死んで家督を継いだこと。 22歳で医者になるために京都に遊学。 堀景山に医学の他、四書五経漢詩などを学ぶ間、契沖を知り、和歌を学び、小沢蘆庵と知遇を得て、 日本文化に心酔して仏教や儒学から距離を置くようになる。 京都で医者になろうとした(医者の娘と結婚して養子になろうとした)がかなわず、 堀景山が死去すると、27歳で帰郷して医者を開業する。 30歳の時に商家の娘と一旦結婚するが離婚。 32歳で京都時代の学友の娘と再婚。

まあ、こんなところではあるまいか。

彼は武家とははなはだ相性が悪かったが、商家とも悪かった。 どのへんが気に入らなかったかというところが非常に気になる。

いやね、 本居宣長は、 自分で、契沖に影響を受けました、ということは書いているんだが、 堀景山や荻生徂徠に影響を受けました、なんてことは書いてないと思うんだ。 荻生徂徠伊藤仁斎に影響を受けただろう、ということは小林秀雄がそう書いてるだけでね。 しかも本論とあんま関係ない薀蓄たれてるだけなんでね。

宣長の学問の形というのは徂徠がどうのこうのと言わなくても契沖だけでほぼ完全に説明できると思うんだ、 その古文辞学的なところとか。 宣長学というのはつまるところ契沖学の延長なんだよね。 もし他に影響を与えた人をあげるなら藤原定家とか紫式部とかだろ。

宣長は真淵を師と呼んでいて、別に影響を受けなかったというつもりはないが、 宣長は真淵に会う以前にすでに完成していたのだから、その影響を完全に除外しても宣長宣長なんだよなあ。

なんでそういうふうに宣長を説明したがるのかね、みんな。

だいたい小林秀雄という人は、雑な性格の人で、良く言えば芸術家肌なんだが、仕事にむらがある。 くだらん老人の蘊蓄を垂れている箇所と、鋭い指摘をしてるところが混在している。 伊藤仁斎の箇所なんて頼まれ仕事で仕方なく文字数埋めるためにわざと脱線してなんの関係もない蘊蓄を垂れているだけなんだが、 わかる人はそういうところはよけて読んで、面白いところだけ拾い読みすれば良い。 中国のお土産は必ず良いものと不良品を抱き合わせにして売っている。そんなもので、 不良品を捨てて良品だけ拾えばよい。 小林秀雄自身もここは脱線してるから本論とは関係なしに雑談として読んでね、っていうヒントはちゃんと出してるのに、 わからんやつにはわからん。よけいなんかありがたがっちゃう。 ああ、宣長の本を読んでてついでに仁斎の話まで読めちゃうなんて。なんてお得、とか思っちゃう。 小林秀雄著『本居宣長』を読んでる側にしてみれば、 本居宣長伊藤仁斎から何かすごく影響を受けたように読んでしまう。 読者というものは、だいたい誤読するものである。

本居宣長を誤読しさらに小林秀雄も誤読するからもはや宣長の原型を留めていない。 自分で勝手に宣長ってこんな感じとか思っちゃう。

平田篤胤なんかも本人の許可無く勝手に誤読して自分が一番の弟子とか言い出す。

ガンダムマクロスの二次創作もそうだが、 ともかく読者というものは業が深い。 私も自分の小説をいつも誤読されるので、よく知ってる。

たぶん小林秀雄は出版社から借金の穴埋めかなんかに原稿料を前借りして (或いは一晩で遊蕩して)、宣長について五十話書く約束をしちゃったんだが、 宣長だけでそんなたくさん書けないし書く気もない。 仕方なしに松坂に取材に行った。 それから徂徠や仁斎の話で煙にまいといて、 ほんのちょっぴり、きらっとしたことを書いたら、 もう全然書くことがなくなってしまって、 後半は古事記伝の解釈をいやいやだらだら書いて埋めた、 そういう本だと思うよ、『本居宣長』は。