セバストポリスの戦い
またまた wikipedia を読んでいてメモ。 セバストポリスの戦い というものが、ユスティニアヌス二世の時代の東ローマとウマイヤ朝の間であったらしいが、 このセバストポリスというのは今のクリミア半島のセバストーポリではなくて、アナトリアのキリキア辺りにあった都市らしい。
ユスティニアヌス二世は鼻をそがれて ケルソネソス に流刑になったそうだが、このケルソネソスというのが今のセバストーポリに当たるようだ。 ケルソネソスは古代ギリシャの頃からのギリシャ人の植民都市で、 長らく直接民主制の地方自治都市として残った、らしいのだが、 いつの間にか東ローマ領になっているのはつまり、アテネやスパルタなどがローマ帝国に飲み込まれていってそのまんまということか。
ケルソネソスは僻遠の地なので、流刑地としてよく使われたとか。
追放するとき鼻をそいだのは、 ローマ皇帝に即位するときに五体満足であるというのが不文律になっており、 ユスティニアヌス二世が再び皇帝に復位しないように、という意味らしい。 目をつぶしたり、耳輪をつけるのも似たような意味なのかもしれない。