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裏柳生口伝

小池一夫原作の漫画「子連れ狼」(1970-1976)には主人公・拝一刀の

仏に逢うては仏を殺し、父母に逢うてはこれを殺し、祖に逢うては祖を殺し、 しかして、何の感情も抱かぬ、無字の境地に至れぬものか!

というセリフがある。 こちらのサイト にはその英訳も掲載されている。

Meet the Buddha, kill the Buddha. Meet your parents, kill your parents. Meet your ancestors, kill your ancestors.

などと訳されているのがわかる。 映画「子連れ狼」(1972-1974)にも同様のセリフが出る いくらおにぎりブログ

阿弥陀如来に申し上げる。我ら親子、六道四生順逆の境に立つもの。父母に会うては父母を殺し、仏に会うては仏を殺す。喝!

深作欣二監督の映画『柳生一族の陰謀』(1978年)では、柳生宗矩役の萬屋錦之介

親に会うては親を殺し、仏に会うては仏を殺す。

と言い、同年テレビドラマ版『柳生一族の陰謀』では、柳生十兵衛千葉真一の冒頭のナレーションで、

裏柳生口伝に曰く、戦えば必ず勝つ。此れ兵法の第一義なり。 人としての情けを断ちて、 神に逢うては神を斬り、仏に逢うては仏を斬り、 然る後、初めて極意を得ん。 斯くの如くんば、行く手を阻む者、悪鬼羅刹の化身なりとも、 豈に遅れを取る可けんや。

とある。 テレビドラマで「親に会うては親を殺し」は刺激が強すぎるのかもしれん。 「神に逢うては神を斬り」はこれが初出か。 いかにも日本的な言い回しではある。

魔界転生』(1981年)では

神に会うては神を斬り、魔物に会うては魔物を斬る。

という言い回しがあり、『キル・ビル』ではやはり千葉真一がハットリハンゾウ役で

自惚れではなく、これは私の最高傑作。 旅の途上で、神が立ちはだかれば、神をも斬れるであろう。

などと言っている。これの源流は、臨済宗の祖、臨済の言葉を記した『臨済録』の中に出てくる以下のくだりであると思われる。

爾、如法の見解を得んと欲せば、但、人惑を受くること莫れ。 裏に向かい、外に向かひて、逢著せば、便(すなは)ち殺せ。 仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、 父母に逢うては父母を殺し、親眷(しんけん・親族)に逢うては親眷を殺して、 始めて解脱を得ん。物と拘わらず、透脱自在なり。

道流、爾欲得如法見解、但莫受人惑。向裏向外、逢著便殺。逢佛殺佛、逢祖殺祖、逢羅漢殺羅漢、逢父母殺父母、逢親眷殺親眷、始得解脱、不與物拘、透脱自在。

臨済という人はずいぶん過激な人だったようだが、禅宗由来と言われればたしかにそんな気がしてくる。

戦えば必ず勝つ。此れ兵法の第一義なり。

ここは深作欣二のオリジナルらしいが、孫子の兵法形篇

勝兵先勝而後求戦、敗兵先戦而後求勝。

「勝兵は先づ勝ちて而る後に戦ひを求め、敗兵は先づ戦ひて而る後に勝ちを求む」 が出どころであろう。

ところで頼山陽には「兵児の謡」という詩があって、前後に分かれているが、その前半は

衣至骭 袖至腕
腰間秋水鉄可断
人触斬人 馬触斬馬
十八結交健児社
北客能来何以酬
弾丸硝薬是膳羞
客猶不属饜 好以宝刀加渠頭

衣は骭(すね)に至り 袖腕に至る
腰間の秋水 鉄断つ可し
人触るれば人を斬り 馬触るれば馬を斬る
十八交を結ぶ健児の社
北客能く来らば何を以って酬いん
弾丸硝薬是れ膳羞
客猶ほ属饜(しょくえん)せずんば 好(かう)するに宝刀を以て渠(かれ)が頭に加えん

※秋水 よく切れる剣。日本刀の美称
※健児の社 薩摩藩が青年藩士のために設けた教育機関
※膳羞 ごちそう
※属饜 飽きる

薩摩男子は、裾は脛まで、袖は腕までの短い粗末な服装だが、 腰に差した剣は鉄も切れるほどに鋭利である。 立ち向かってくるものがあれば、人だろうと馬だろうと何でもかまわず斬る。 十八歳になると健児の社に加わって同志と交わる。 薩摩の北から客が訪れれば、何をもって応対しようか。 弾丸や硝薬、これごちそう。 客がそれでも飽き足りないときには、頭に宝刀を加えて引き出物としよう。

ここで、人でも馬でも斬る、という形になっている。もともと薩摩の民謡を漢詩に翻案したもので、そのオリジナルは

裾は脛まで 袖は腕 腰の剣は鉄も断つ
人が触れば 人を斬り 馬が触れば 馬を斬る
若さを誓ふ 兵児仲間

肥後の加藤が来るならば 煙硝(えんしょう)肴に弾丸(たま)会釈
それでお客に足らぬなら 首に刀の引き出物

というようなものであったらしい。

「兵児の謡」の後半は、しかし、

蕉衫如雪不愛塵
長袖緩帯学都人
怪来健児語音好
一操南音官長瞋
蜂黄落 蝶粉褪
倡優巧 鉄剣鈍
以馬換妾髀生肉
眉斧解剖壮士腹

蕉衫雪の如く塵をとどめず
長袖緩帯都人を学ぶ
怪しみ来る健児語音の好きを
一たび南音を操れば官長瞋る
蜂黄落ち蝶粉褪す
倡優巧みにして鉄剣鈍し
馬を以て妾に換え髀肉を生ず
眉斧解剖す壮士の腹

※蕉衫 芭蕉布の服
※蜂黄落蝶粉褪 蜂の黄色い色は落ち、蝶の粉は色褪せてしまった。女色に退廃したようす。
※倡優 芸能
※眉斧 美人

衣服は真っ白で一点のちりも無く、 袖は長く、帯は緩く、都人の流行を真似ている。 健児らの言葉遣いも都びていて、 薩摩弁で話しかけると官長が怒り出すしまつ。 女色に溺れ、芸事は旨くなったが鉄剣は鈍い。 馬を妾に換えて股に贅肉が付く。 美人が壮士の腹を割いてしまった。

頼山陽は1818年、37歳頃に九州各地を漫遊している。 長崎から雲仙、熊本、薩摩と移動したようだ。 諸国を観察して、詩を作ったり、それを揮毫して小遣い稼ぎしたり、歴史を学んだりしたかったのだろう。 「肥後の加藤」とは清正のことだろうから、 秀吉の時代の歌であったのが、山陽が薩摩を訪れた江戸半ばすぎには、 島津家中の武士ですら、贅沢に馴れていた、というふうに鑑賞すべきである。

時に薩摩藩島津重豪の時代で、開明的だが浪費家で、死後大赤字を残したことで有名だ。鎌倉宮の謎参照。

小説も書いてます。 是非お読みください。 人斬り鉤月斎