不確定申告

tanaka0903

江戸繁盛記

深川の流れの末の浮かれ妻つひのよるせやいづくなるらむ

船底の枕並べて深川の遊びは客の舵をこそとれ

まことなしと人に言はるる身ぞつらき客に情けも深川の里

身揚がりをして呼ぶ客はたをやめの心のうちも深川の里

柳橋新誌と併せて江戸繁盛記も読んでいるのだが、 吉原と深川の対比が面白い。 吉原は北にあるので、北里(ほくり)。 深川は南東にあるので、辰巳(たつみ)。 吉原は幕府公認だから、いわば公娼。 深川は民間、私娼。

吉原は芸と色では色の方が重く、それぞれの妓楼が芸者も料理人も幇間も雇っている。 ところが深川では芸者は置屋というところにいて、客は酒楼に遊びに行き、料理屋から肴を取り寄せて、 置屋から芸者を呼ぶ。 また芸者も芸と色では芸の方が重い。

柳橋芸者は、天保の改革で深川はつぶされてから出来たもので、辰巳芸者の流れをくむ。 ここでは、酒楼ではなくて船宿が主体となる。 船宿と言っても必ず楼(二階)があって、一階は船宿の亭主や女将が住み、客は二階に上がるものらしい。 船宿には厨房のようなものも、ないようだ。 亭主の他に船頭が居て、つまり亭主というのは実は何もしない。ただばくちを打ったりして遊ぶだけらしい。 女将の滑舌によって船宿というものは儲けたり儲からなかったりするのだという。

柳橋芸者は普通、柳橋南詰め、西両国広小路の北の、下柳原同朋町というところに住んだらしい。 その母と二人暮らし。他には猫くらい。客が芸者の自宅に来て遊ぶこともあったようだ。ふむ。