式子内親王
馬場あき子「式子内親王」ちくま学芸文庫を読む。 俵万智の解説がやや面白い。 1992年初版。 サラダ記念日から5年くらいか。 「恋の歌はどこまで実話か」と言う質問に対して、 いろいろ答えに困っているのがおかしいが、 俵万智が和泉式部と式子内親王のどちらに近いかといえば、 まああきらかに和泉式部の方だろうな。
あと絶えて幾重も霞め深く我が世をうぢ山の奥の麓に
積もりぬる木の葉のまがふ方もなく鳥だにふまぬ宿の庭かな
山深くやがて閉ぢにし松の戸にただ有明の月ぞもりけむ
引き籠もり。 やはり一言で言えば、引き籠もり。 和泉式部の
わびぬれば煙をだにも立てむとて柴折りくぶる冬の山里
とは同じような情景を詠んでいるのに好対照だわな。 で、馬場あき子の文章だが、長い。 推測の上に推測を重ねている。 たぶん式子内親王という人はもともとよくわからん人なんだと思う。 わからん人はわからんでなぜいけないか、と思ってしまう。 もう少しかいつまんでもらってもよかったかなとは思う。 でも、このネタ的にはとても書きにくい人について、どうしても書きたかったから書いたんだろうなあとも思う。