不確定申告

tanaka0903

ハイジのこどもたち

シャルル・トリッテン著「ハイジのこどもたち」を読んでいるのだが、

アルムおじさんの名はトビアス・ハイムというらしい。 なるほど、アルムおじさんの息子の名前はトビアスだから、 その父の名もトビアスである可能性は高い。

ビアス・ハイムはオーストリアで傭兵をしていた。 そのときにマルタ・クルーゼという女性と知り合い、 二人の男子を産んだ。 トビアス・ハイムとマルタ・クルーゼは二人して財産を使い果たして、離婚した。 そのときトビアス・ハイム、つまりアルムおじさんは長男のトビアスを、 マルタは次男を引き取った。 このマルタが引き取ったほうの子はオーストリアの陸軍大佐となり、クルーゼ大佐と呼ばれる。 クルーゼ大佐の妻はマリーという名で、 クルーゼ大佐はパリ駐在武官となってパリに住んでいる。 もしかするとマリーはフランス人かもしれない。 クルーゼ大佐とマリーの間には、 ジャミー(ジャンヌ-マリー)、マルタという二人の娘がいる。 ジャンヌ-マリー(Jeanne-Marie)は明らかにフランス女性の名である。

一方で、ハイジはペーターと結婚して、 トビアス、マルタリという男女の双子を産む。 トビアスの洗礼名はトビアス・ペーター・ナエゲリ、 マルタリの洗礼名はマルタ・ブリギダ・ナエゲリ。 これによってペーターの名前は、ペーター・ナエゲリというのであろう、 ということがわかる。

ちなみに名前に「リ」をつけるのは「ちゃん」づけするみたいなものらしい。 初期作品集にも出て来たが、マイエリ、ヨハネスリ、マルグリトリ、などなど。 男の子にも女の子にも付ける。 ベルリ、スヴェンリなど羊の名にも付ける。

「ハイジのこどもたち」の前編「それからのハイジ」によれば、 ハイジはローザンヌの北にあるロージアヌというところの学校でジャミーと知り合い、 ハイジはデルフリで学校の教師になるが、 ハイジがペーターと結婚するにあたって教師を辞め、 後任にジャミーを呼び寄せる、ということになっている。 その学友にして大親友のハイジとジャミーが、実はいとこどうしだった、 というのがこの物語のオチになっている。

一番気になるのは、アルムおじさんがオーストリアで傭兵になった、としていることである。 スイス傭兵がオーストリアで傭兵になることは皆無ではなかったらしい。

Schweizer Truppen in fremden Diensten

しかしこの時期、オーストリアで傭兵になった記録はない。 そもそもスイスはオーストリアから独立してできた国なので、 オーストリアハプスブルク家の傭兵になるというのは、あまり考えにくい。 本文中 p.176 に

当時、ナポリはフランス領だったでしょう

というのがあるが、これはおそらく誤訳だろう。 ナポリは当時ナポリ王国シチリア王国の同君王国で両シチリア王国と言い、 スペインのブルボン家の分家だった。 ブルボン家だからフランス領だと言うのならば、 今のスペインもフランス領ということになってしまう。 シャルル・トリッテンが書いたフランス語の原文を読む気にはまったくなれないが、 もしトリッテンがナポリをフランス領だと書いたとしたらとんでもない間違いだ(ただしナポリフランス革命軍に占領され、ナポレオンの兄や妹婿がナポリ王になったことがあった。しかし当時まだアルムおじさんは幼すぎる。それにフランス人が国王になろうとナポリ王はナポリ王であって、必ずしもフランス領になるわけではない。同じ理屈で言えば、今のウィンザー朝のイギリスはドイツ領になってしまう)。

ともかく、スイス傭兵といえば、 普通はフランスのブルボン家ナポリブルボン家、ヴァティカン、 この三つがメジャーであり、いずれも衛兵として常時雇われていた。 アルムおじさんの時代だと、衛兵としてのスイス傭兵は(上記の記事が完全ならば)ナポリかヴァティカンしかない。 さもなくば戦時に一時的に動員された。 第二次イタリア統一戦争(1859年)ではフランスとピエモンテの連合軍に雇われた。

マイエンフェルト駅が出来たのは1858年である。 鉄道が通ったことによって、 それまでのプフェファース修道院に附属していた原始的な湯治場が開発されて、 鉄道の近くの、ライン川の川岸まで源泉を引いてきて、 ラガーツ温泉が出来たのはそんなに古いことではない (どうも1868年以降のことらしい)。 ヨハンナ・シュピリがラガーツ温泉に静養に来たのは1878年以降のはずだ。 で、仮に、最初にハイディが出版された1880年にハイディが5歳だとするとアルムおじさんは70歳。 アルムおじさんの生まれ年は1810年ということになる。 傭兵に行くとして1826年(16歳)から1845年(35歳)くらいまでだろう。 この時期ヨーロッパはウィーン体制で比較的平和だった。 だからバティカンかナポリで平時の衛兵として雇われた、と考えるのが一番無難だし、原作にも言及されているようにナポリであった可能性が極めて高い。そしてオーストリアであった可能性はほぼゼロだ(私はアルムおじさんが第二次イタリア戦争に参戦したとして「アルプスの少女デーテ」を書いた。当時50歳だったことになる。かなり無理がある。時代設定をあと20年ほど後ろにずらして、ヨハンナ・シュピリが未来小説を書いたことにしないといけない。逆に10年ほど前倒しにすることは、不可能ではないが、ナポレオン戦争当時、アルムおじさんは傭兵になるには若すぎる。ちなみに1848年にはウィーン体制が崩壊する欧州革命が起きている。多少時代設定を未来にずらせば、この戦争に動員されたと考えてみることもできる)。

マリア・テレジアの時代にオーストリアがスイス傭兵をウィーンで衛兵として雇ったことがあり、 Schweizerhof(スイス広場)、Sweizertor (スイス門) などという地名が今も残るそうだ。 その後再びスイス傭兵を雇ったということは、絶対無いとは言い切れないが、かなり弱い。 或いは、この地名に引っ張られて、トリッテンはアルムおじさんがウィーンで傭兵になった、と考えたのではなかろうか。

ウィーンで子供が二人できて一人だけ連れてスイスに帰るというのも、 ずいぶん無理がある設定ではなかろうか?

どうでも良い話かもしれないが、 アルムおじさんをトビアス1世、アルムおじさんの子でハイディの父をトビアス2世、 ハイディの子をトビアス3世、などと呼ぶのはおかしい。 というのは、アルムおじさんの家系をさかのぼって一人もトビアスという人がいないってことが明らかでなくてはならないからだ。 王侯貴族ならば一応家系が残っているから可能だろう。 或いは領主や国王となって以降、王朝成立後、1世、2世と数えるというのも良い。 ローマ教皇世襲ではないが、まあ1世、2世と数えるのは自然だ。 しかし家系が定かでない民間人をそういうふうに呼ぶのはおかしい。

ところが歴史の浅いアメリカでは民間人でも平気で1世、2世などという。 彼らの祖先の誰かが、ヨーロッパかどこかで、同じ名前だったかもしれない、 なんてことはどうでも良いのだろう。 たとえばマイクロソフト創業者のビル・ゲイツビル・ゲイツ3世(William Henry Gates III)というらしい。 祖父の William Henry Gates I は 1891年から 1969年まで生きたらしい。 では彼の祖先はどこから来たのか? 彼のGates 家の祖先に William Henry という人はいないのか。 どうせ誰も知らないのだ。