不確定申告

tanaka0903

フローニの墓に一言

というわけでしばらくずっとドイツ語と格闘していた。 シュピリのHeimatlosというやつも読み始めたのだが(もういい加減疲れたので英訳の方を読んでる)、 こちらはイタリア人の男の子とお父さんと叔母が出てくるという話で、あんまり関連性はないようだ。 ただイタリアの話をシュピリが書くというのはやや意味深で、 アルムおじさんがナポリで傭兵になったという話を連想させる。

スイス人がイタリアの話を書いても何も不思議じゃないんだけど、 やはりシュピリとロイトホルトの関係を考えさせられる。

フローニはぎりぎりまで内容をブログに書いたりしなかったんだが、 それは、 ハイディに出てくるアルムおじさんのモデルがハインリヒ・ロイトホルトというヨハンナ・シュピリと同い年で同郷の詩人をモデルにしているってことが、割と重大な発見に思えたからだ。 これは、ほぼ確実だと思っている。 今回も結局(古典の翻訳という形をとった)論文みたいなものを書いてしまった。

ていうか「西行秘伝」もほとんど元ネタは平家物語なんだよね。 戦前まで平家物語は、最初から最後まで、娯楽として、古典の教養として、歴史書として読まれていた。 だから、平家物語を読んだという人は、祇王を知っているし、二代后を知っているし、文覚や俊寛を知っているし、 義経腰越状を知っていた(腰越状なんてのは昔は漢文のお手本としてみんな習った、らしい)。 今の人は、冒頭の祇園精舎のとこと、富士川の戦いから壇ノ浦までしか知らん。 もちろん原文読んだりウィキペディアの説明読めば全部書いてあるんだが、 一番「マンガ的」なところしか知らないし興味を示さなくなってるんだよな。 ハイディのアニメ化もまったく同じなわけなんだが、 活字が映像表現される時代ではどうしてもそうなっちゃうわけなんだよな、たぶん。 ある意味映像化されることによって、それまでは見えていたものにフィルターがかかって見えなくなる現象ともいえるわな。

テレビの報道なんか見てても、浅田真央バンクーバーオリンピックで泣いたり笑ったりいろんな表情をしているはずなんだが、 映像的には、浅田真央キム・ヨナに負けて泣いていなくてはならない。 笑っている場面は全部捨てられてしまう。 無理矢理泣いてる一瞬のシーンだけを切り取って「絵」にしてしまう。 小説はそういう嘘の付き方はしない。 もっと違う嘘の付き方をする。

なんかいわゆる世間一般の「キンドル作家」からどんどん一人だけ離れて勝手に行動しているような気がするが、 まあしかたない。

ハインリヒ・ロイトホルトは Wetzikon Wiki など読むと少しわかる。でもこれもそんな詳しくない。 いろんな情報をつなぎ合わせると、 ハインリヒとヨハンナがヒルツェルで同じ学校に通っていたのは、おそらく、 8歳から13歳くらいまでだったろうということがわかってくる。 また20歳くらいの大学の休暇中に会っていたことはあっただろうと思う。 ハインリヒの父も、ある史料には小作人(eines Landarbeiters und Milchhändlers)と書かれているが、 どうも、このヴェツィコンというハインリヒの生まれ故郷のウィキを読む限り、農園主、酪農家(ここで Schönenberg 村出身の父は酪農を経営した。Hier betreibt sein aus der Gemeinde Schönenberg stammender Vater eine Sennerei。SchönenbergはHirzelに隣接するGemeinde)だったらしい。 つまりアルムおじさんの境遇にかなり近づく。 ていうか当時ただの小作人の子がわざわざ大学までいくか。 よっぽど母親の再婚相手が裕福ならともかく。 とにかく調べれば調べるほどわからんことが増える。

ハインリヒはかなりエキセントリックな人だ。 えーとそれはここに書いてもいいんだが、「フローニ」でも解説してあるし「フローニ」本編も合わせて読んだ方がよくわかるかもしれん。 若い頃のアルムおじさんってたぶん こんな顔 してたと思う。 怖いね。普通か。

今回はもうこれ以上文章を書き換えることはないと思う、たぶん。 今後表紙は替えて、挿絵を入れる予定。

原文 は public domain なんでどうぞ適当に配布しちゃってください。 オリジナルのpdfはこちら

あ、ごめん。 こっち のほうがずっときれいです。