不確定申告

tanaka0903

予定調和

読者の期待した方向へストーリーをもっていかないほうが意外性があってお得、 予定調和は罪悪、 手あかのついてない新しいストーリー展開にあえて挑戦、 という観念があるせいか、 ネットで感想を探し出して読んでみると、期待を裏切られたとか、 思ってたのと違ったとか、そういう反応を目にすることが多い。

予定調和的でないストーリー展開はざっくり切り捨てられ、 予定調和的な部分だけが読まれ、 かつ、 予定調和になってない部分はなってると(他の自分の知ってる類似作品を持ち寄って)勝手に脳内補完して読まれている可能性が極めて高い。 それはかつて知合いに「安藤レイ」や「濹西綺譚」を読んでもらって感じたことでもある。 だんだんその漠然とした不安は確信に変わりつつある。

読者に逆らいわが道を行くのは難しい。 それは既存の出版業界に逆らうよりも難しいかもしれない。 kdpの時代になっても読者は昔のままだ。 読者は案外強い立場にいる。 圧倒的多数の読者は作者より強いのだろう。 いろんな意味でいろいろ難しい。

そう、記号と予定調和が支配する世界。 二次創作にされやすい、素人にやさしい世界。 だが空虚だ。 記号は記号に過ぎない。

ガンダムもそのままでは二次創作されえなかった。 何度もシリーズ化され、 準備されたのちに、 二次創作されるようになった。 オリジナルから二次創作へ変容していく過程はだいたいいつもこのようなものだ。 わらわらとたかってくるファンやスタッフによって意図は変えられていく。 大乗仏教もそうやって成立したのに違いない。

私としてはこれから3DCGを量産できる態勢にもっていく。 一年もすればどんどんイラストが描けるようになると思う。 もちろんキャラクターをたくさん出したりすれば破綻するが、 小さくまとまった短編ものならどんどんいけると思う。 とりあえずしばらくはそちらのほうで戦おうと思う。

夢を見てて思う、人間にとって創作文芸のルーツは夢にあるのかもしれん。 脳の中で勝手に作られるイメージを固定しただけでは作品にならぬが、 そういう夢物語のようなストーリー性の乏しい作品を作る素人はたくさんいる (これは夢の話なのでストーリーがなくてよい、これはPVだからオチはなくてよい、etc)。 しかし、素人とプロの境界はあいまいだから、 そこから本格的な文芸が生まれてもおかしくない。

人の絵を描くときに筋肉や骨の構造を知らねば描けぬように、 脳の中で情報がどのように処理され、どのように間違われ、 どのように解釈されるのかということがわからないと、文芸作品は書けぬのかもしれんし、 わかってしまうと、いろんな可能性とともに制約が知られるのかもしれない。 つまり、人間の脳というものはこういうインプットには必ずこういう反応をするものである。 それに沿わぬストーリーを提示するのは無謀だ、とか。