小説は読まれない
今回『エウメネス6』を出してみて思ったのだが、私としては話を完結させねばならないという半ば義務感と、そろそろ決着を付けなきゃいつまでもきりがないという気持ちもあって書いたわけだが、待ち望んでいた人は誰もおらず、読みたがる人もいなかった、ということがほぼ明らかになった。
もちろんきちんと広報したわけではないので、もしかしたら第1巻から5巻まで買っていて、6巻が出れば買おうと思っていたがまだ気づいてないという人もわずかにはいるのかもしれない。そのうち気づいて買ってくれる人がいるかもしれない。でもまあそういう人は稀であろう。
これまで5巻まとめて買ってくれた人はたぶん「積ん読」で買ってくれたのか、あるいは、『ヒストリエ』の参考文献として必要な箇所が読めればよいと思ってまとめ買いしたのか、だいたいそんなところだと思う。
50万字の小説をわざわざ読む人はほとんどいないと思う。よほど話題になって読んでおかなきゃいけないかなと思って読む人はそりゃいるだろう。しかし私の場合はほとんど無名だ。50万字ちゃんと読む人がいるとはとても思えない。
イッソスとかガウガメラの戦いについてyoutubeで解説してる動画があって再生回数が50万回くらいあって驚く。たぶん世の中の人の多くはアレクサンドロスとか彼の有名な合戦について一応知っておこうと思って本で読むよりはと動画を見るのだろう。
動画の出来は悪くはないが、wikipedia を読めば分かる程度の内容で、要するにペラペラな薄っぺらいものだ。それでも大学受験くらいには役に立つのだろう。
世間にはたぶんそういう人がほとんどで、わざわざ50万字の小説を読む人は、まあ、ほぼ皆無だと思う。
『エウメネス』だけはときどき思い出したように売れることがあるので今後何かをきっかけに話題になって読まれることもあるかもしれないが、淡い期待というべきだろう。自分としては、長編小説を書こうと思えばかけたなとか、書いてみたらこんなのができたっていう、自分を再認識するのには役に立ったし、書いている過程でいろいろ調べて楽しかったというものあるが、それにしても、ちょこちょこ売れたせいで膨大な時間を費やしてしまったなという後悔もある。
ミステリーなんかも名探偵コナンとか古畑任三郎なんかで十分なわけで、たまに、電車の中で紙の本で読むほうが暇つぶしになると思って読む人がいるくらいだろうと思う。
昔、『ワンス・アポンナ・タイム・イン・ユーラシア』という小説を書いたことがあり、これは第一次十字軍を書いたのだが、主人公はオマル・ハイヤームで、彼がセルジュークトルコに従軍してマラズギルトの戦いに参加し、ノルマンディから出てきたコンスタンツェという女を人質にしてメルヴに帰ってそこの天文台で暦を作るという、ざっといえばそんな話なんだが、ま、ようするにあまりにも構想が大きすぎるわりには主人公があまりぱっとしない話だったんで、その中でマラズギルトの戦いの部分だけを切り取ったのが『エウドキア』になった。
また、イェルサレム王バルドヴィンやシチリア公ロジェールなんかの話が『海賊王ロジェール』になった。
も少し書こうという気はあるんだけど、『エウドキア』はちょっとだけ読まれた。『ロジェール』はほとんど読まれなかったがたまに読む人がいる。どっちにしてもほとんど反応がない。2013年頃は珍しさもあって kindle で出すと少しは読まれたのだけど今はもうほとんどリアクションがない。なろうとかカクヨムとかでどんどん小説書く人が出てきて、私のなんかもうほとんど読まれない。
私の小説が読まれるとしたら youtube で動画かなんか出してそっちで注目されて小説も書いてるっぽいから読んでみるかという流れになるくらいだと思う。
うすうす気づいてはいたが世の中には小説を読む人などいない。
いたとしても、世の中で評判になっているから読むという人たちであって、テレビを見たり新聞読むのとなんら変わらない。
ほんとうに小説を読む人もいないわけではないが誤差に過ぎない。
結局私は、読まれないだろうってことはうすうすわかりつつも、また別の『ワンス・アポンナ・タイム・イン・ユーラシア』を書いてしまったということだ。
ま、しかし、一区切りついたのは確かだ。これからはもっとやることを選んで、時間を大事に使っていこう。
エウメネス6
エウメネスを新人賞に応募したのが 2012年12月。
落ちたので kindle で出したのが 2013年。
その後なぜかエウメネスばかりが売れるようになり、といっても大したことはないのだが、他のはだいたい出して少し読まれたら失速していくんだが、エウメネスだけはぽつぽつ買われてて、続編が読みたいというレビューもあったんで、続編を書いた。
それでエウメネス2とエウメネス3を出したのが 2016年6月とか7月。
おそらくは『ヒストリエ』の副読本もしくは世界史の勉強のために読まれているのだろうと思う。それ以外あまり理由がおもいつかない。
それからエウメネス4とエウメネス5を出したのが2017年の8月とか11月。このへんからかなりフィクションを交えて膨らますようにした。というより、イッソス、ガウガメラあたりまでは勢いでかけるのだが、そこから先はエピソードを羅列しただけでは書きようがなく、フィクションで補間しないと話として成立しない。
ペルシャがまたよくわからない。少なくとも日本語の文献だけではほとんど何もわからず、日本人にも感心が薄いところ。でも、ペルシャを書かねばアレクサンドロスは書けないのだから、書けるようになるまでずっと構想を練っていた。それでやっと完結編エウメネス6を書けたのが 2021年8月。
アレクサンドロスの死やディアドコイ戦争については書く気はもともとなかったので、これでおしまい。
完結して、全6巻そろってこれからも順調に売れ続けるようなら出版社に話を持って行くなり、最悪自費出版でもしようと思ってる。
トータルで1万部も売れれば話に乗ってくるとこはあるんじゃないか、などと思ってるのだが、どうか。
エウメネス6は今までとはかなり違った構成になったと思う。村上春樹みたいに心象風景を延々と書くようなものを書いてみたかったが、結局そうはならなかった。
私の場合まず、歴史的な骨組みを書いて、そこに補助線を引いて増築し、そのあと心理描写などを肉付けするんで、どうしても「シンプルな文体」とか「シンプルな構成」になってしまう。
この先膨らますとすればどうしてもアマストリーが主人公になりそうないきおいで、でも以前にそれに近い『エウドキア』を書いてしまってるので、アマストリーについて書けば書くほど『エウドキア』に近づいていくだけだと思う。どうしても私が書くと話がそっちのほうへふくらんでいってしまうのだなあ。
登場人物の数は圧倒的に男が多いが女もけっこう出てくる。人物の描写で言えば男女半々くらいで、主要な女キャラも、オリュンピアス、アマストリー、ラオクシュナ、アパマ、シシュガンピス、バルシネ、アルトニス、ピュティオニケ、フリュネなど、ほかにもアルテミシア、シャンムラマートなどけっこういて、なぜ私がアレクサンドロスの小説を書くとこうなるのか、自分でも不思議だ。
2012年12月の原稿を今更ながら読んでみると、いかにも拙い。味わいが足りない。それでもこれが、少しずつでも売れたからこそ、手を加え、校正し、文章を練り直し、続編を書き、全部で50万字の作品になった。読者の反応がなければ書かないし、書けなかっただろう。
といって大してもうかったわけでもないし、読まれたわけでもない。
これからもっと読まれてくれると良いのだが。
しかし、ブログはやはり書き残しておくべきものだな。昔何やってたかもうすべて忘れてしまっているから。
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最近は作曲とかDTMとかdawとかシンセとかも始めてしまい時間をどんどん削られる。 私の場合どちらかといえば作曲がしたいというよりは、ゲーム制作や動画制作のアセットとして曲が欲しいわけなんで、曲ばかりバンバン作る必要もなく、アセットとして必要になったら作ればいいんだが、とりあえずは自分がどんな曲を作れる人なんかってことを試すためにいろいろやってたらかなり疲れた。
FL Studio はなんだかんだ言われるがやはり良い。Cubase はあまりに古すぎて身動きとれない状態になっていると思う。 LE を入れようとしても AI しか入らず、AI を入れると Elements にしろとか言われ、Elements を入れても Artist にしろとか言われ、Artist を入れても Pro にしろとか言われ、 Pro を入れても Nuendo にしろとか言われるのだろう。 なんだかスマホゲーの課金システムを見ているようだ。 認証サーバーも重くてつながりにくいし、ファイアーウォール挟むとさらにやっかいだ。 やっと起動しても音が出るまでに一苦労する。
FL Studio もまた Cubase と似たようなものだが、新参な分、身軽で良いのだと思う。 Cubase は定番なのに儲かってなくて経営者や株主からせっつかれてるのかもしれんが、ああいうやり方はユーザーの心証を悪くするだけだと思う。 完全に一から作った Daw が出てくればそっちに乗り換える可能性は極めて高い。 Maya や 3dsmax みたいに昔からのユーザーを引き連れているソフトよりも blender のほうが使いやすいのと同じだろ。
unreal editor は unity が出てから生まれ変わった。いまや unity のほうが旧態依然としているくらいだ。 unity も unity hub に移行してからずいぶんひどかった。いまは少し落ち着いたが。 epic games launcher の認証もファイアーウォールごしだと一時期もたついてたが今では特に問題ない。 私としては ue5 になってガラっと変わられては困るなと思っていたが、ユーザーインターフェースや仕様などほぼ ue4 を引き継いでいてくれてほっとした。
blender も 2.91 になってからすっかりおちついた。半年に1回定期的に upgrade されるようになってこれもありがたい。 というか、落ち着いたから定期 upgrade に以降したんやろね。落ち着いてなきゃできないことだ。
動画ばっか作るようになったのはコロナのせいだ。 というか、ほんとは、もっと早く動画を作るようになるべきだったのだが、その必要性を気づかせてくれたのはコロナだし、 業務として動画制作するんじゃなきゃこんなに早く身にはつかなかった。 動画作るのは楽しいし、一番有効に時間を活用しているようにも思う(そうね。小説書いたり作曲したりする時間くらいに)。 でも時間がまじで足りなくなってきた。余裕がない。 コロナが落ち着けば少しは時間ができるかもしれないが、それでも足りない。 思うに、twitter とか facebook 見たり書いたりするのをやめれば時間が余るに違いないのである。 全然見ないわけにはいかないかもしれないが、 活動のメインを youtube とかブログにして、その告知くらいをたまに twitter あたりでやるので十分ではなかろうか。 twitter に直接いろいろ書くのも問題あるしね。
認証サーバー
cubase の elincencer だがときどきサーバーが混み合ってて認証されない。
dawとかasioとかそもそも音楽関係のソフトって音が出ないとかうまく動かないとか開発が止まってて古すぎるとかいろいろストレスフルなところがある。そのうえ、認証サーバーが非力とかで、かなり精神力を削られるところがある。
この認証系のエラーメッセージ(ネットワーク接続を確認しろとか、サーバーがメンテナンス中かもしれません)ってのが出るのは、他の unreal とか unity なんかもそうだが、proxy や firewall のせいじゃなきゃたいていは認証サーバーが混み合っているせいだ。
認証をかけてない普通のサーバーはだいたいいつも回線容量とかアクセス数とかに余裕があってさくさくダウンロードもできる。
しかし認証サーバーはたぶん常にそういうサービスを供給するところが不足していてそれゆえに高価でだから業者もケチってるんだろうな。
github をブログ代わりに使おうかなどとも考えた。不可能ではないんだが、検索が非力で過去記事をスキャンするとかできなさそうなんで、結局使えそうにないので、またはてなに書くことにした。
音楽ソフトとかモニタースピーカーなんかはヨドバシとかビックよりも楽器屋のほうが品揃えがよく、さくっと話が通ってすぐに買えたりする。これからは楽器屋もこまめに顔をだそうと思った。
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ここのところ1週間くらいkdpはkenpも注文数も0。ところが一部のランキングは動いていて不思議だ。『潜入捜査官マリナ』とか。なんでやねん。amazonのページにアクセスがあったとか?それとも購入済みの本にページビューがあったとかか?
まあ、ランキングが10万とか100万の世界だとそのくらいでランキングが変動するのかもしれんね。
不思議ついでだが『藤原定家』とか『シュピリ』も割とランキングが動いてて、こいつらは私が出版したわけではないので注文数とかkenpが動かなくてランキングだけ動いてても何の不思議もないのだが、kindle unlimited に登録されているから誰かがときどきチラ見しているということだろう。『シュピリ』はともかく『定家』も読まれているとは嬉しいことだ。
いや、嬉しくはなくて、ある日から注文もkenpも0になって世の中から見捨てられるのではないかという恐怖はずっとある。
ましかし、いろいろ種を蒔き始めて10年が経ったわけで、このまま一部の人たちに名前を覚えられてなんかそのうち花咲くときがくれば良いななんて思ってる。
カクヨムは相変わらず。最初だけ少し反応があって、その後まったくアクセスが途絶える。ただし『伊勢物語』は別。悩ましい。『伊勢物語』を読んで他の作品もついでに読んでくれる人がいればいいのに。ていうか皆無ではないと思うが、ほとんどいまのところその効果は無い。
ときどきコメントとかレビューされることがあるがなんかこの人プロの研究者かな?とか思えるときもあってちょっとびびる。
バック・トウ・ザ・フューチャーに出てくる日本製品
ビデオカメラはJVC。
ラジコンはfutaba。
カセットテープレコーダーは AIWA。
ラジオ付デジタル時計は Panasonic。
腕時計は CASIO。
ストップウォッチは SEIKO と CITIZEN。
Wikipedia > 映画バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3の劇中、1955年のドクが「安物を使うからだ。見ろ、Made in Japanと書いてある。」と言ったのに対し、マーティが「なに言ってんのドク。最高のものはみんな日本製だよ。」と返し、「(敗戦国の日本とは)信じられん。」とドクが驚くというシーンがある。
まあ、アメリカ人としては、一種の自虐ネタなんだろうけど。
時代設定としては1985年。私は大学一年生だった。電気電子工学科入学。
あの頃は、バブルへと駆け上がっていく途中。
NHKなんかも電子立国日本って煽ってた。
私も煽られて電気電子の世界へ飛び込んでしまった。
今なら絶対あり得ないと思う。工学部に行くにしてももちょっと違うほうへ行くと思う。
バック・トウ・ザ・フューチャーも、日本が景気が良すぎてアメリカは不況で日本がアメリカを買っちゃうみたいな設定だった。
あの頃の日本の電機産業って今からおもうとほんとすごかったな。