不確定申告

tanaka0903

小説は読まれない

今回『エウメネス6』を出してみて思ったのだが、私としては話を完結させねばならないという半ば義務感と、そろそろ決着を付けなきゃいつまでもきりがないという気持ちもあって書いたわけだが、待ち望んでいた人は誰もおらず、読みたがる人もいなかった、ということがほぼ明らかになった。

もちろんきちんと広報したわけではないので、もしかしたら第1巻から5巻まで買っていて、6巻が出れば買おうと思っていたがまだ気づいてないという人もわずかにはいるのかもしれない。そのうち気づいて買ってくれる人がいるかもしれない。でもまあそういう人は稀であろう。

 

これまで5巻まとめて買ってくれた人はたぶん「積ん読」で買ってくれたのか、あるいは、『ヒストリエ』の参考文献として必要な箇所が読めればよいと思ってまとめ買いしたのか、だいたいそんなところだと思う。

 

50万字の小説をわざわざ読む人はほとんどいないと思う。よほど話題になって読んでおかなきゃいけないかなと思って読む人はそりゃいるだろう。しかし私の場合はほとんど無名だ。50万字ちゃんと読む人がいるとはとても思えない。

 

イッソスとかガウガメラの戦いについてyoutubeで解説してる動画があって再生回数が50万回くらいあって驚く。たぶん世の中の人の多くはアレクサンドロスとか彼の有名な合戦について一応知っておこうと思って本で読むよりはと動画を見るのだろう。

動画の出来は悪くはないが、wikipedia を読めば分かる程度の内容で、要するにペラペラな薄っぺらいものだ。それでも大学受験くらいには役に立つのだろう。

世間にはたぶんそういう人がほとんどで、わざわざ50万字の小説を読む人は、まあ、ほぼ皆無だと思う。

 

エウメネス』だけはときどき思い出したように売れることがあるので今後何かをきっかけに話題になって読まれることもあるかもしれないが、淡い期待というべきだろう。自分としては、長編小説を書こうと思えばかけたなとか、書いてみたらこんなのができたっていう、自分を再認識するのには役に立ったし、書いている過程でいろいろ調べて楽しかったというものあるが、それにしても、ちょこちょこ売れたせいで膨大な時間を費やしてしまったなという後悔もある。

 

ミステリーなんかも名探偵コナンとか古畑任三郎なんかで十分なわけで、たまに、電車の中で紙の本で読むほうが暇つぶしになると思って読む人がいるくらいだろうと思う。

 

昔、『ワンス・アポンナ・タイム・イン・ユーラシア』という小説を書いたことがあり、これは第一次十字軍を書いたのだが、主人公はオマル・ハイヤームで、彼がセルジュークトルコに従軍してマラズギルトの戦いに参加し、ノルマンディから出てきたコンスタンツェという女を人質にしてメルヴに帰ってそこの天文台で暦を作るという、ざっといえばそんな話なんだが、ま、ようするにあまりにも構想が大きすぎるわりには主人公があまりぱっとしない話だったんで、その中でマラズギルトの戦いの部分だけを切り取ったのが『エウドキア』になった。

また、イェルサレム王バルドヴィンやシチリア公ロジェールなんかの話が『海賊王ロジェール』になった。

も少し書こうという気はあるんだけど、『エウドキア』はちょっとだけ読まれた。『ロジェール』はほとんど読まれなかったがたまに読む人がいる。どっちにしてもほとんど反応がない。2013年頃は珍しさもあって kindle で出すと少しは読まれたのだけど今はもうほとんどリアクションがない。なろうとかカクヨムとかでどんどん小説書く人が出てきて、私のなんかもうほとんど読まれない。

 

私の小説が読まれるとしたら youtube で動画かなんか出してそっちで注目されて小説も書いてるっぽいから読んでみるかという流れになるくらいだと思う。

 

うすうす気づいてはいたが世の中には小説を読む人などいない。

いたとしても、世の中で評判になっているから読むという人たちであって、テレビを見たり新聞読むのとなんら変わらない。

ほんとうに小説を読む人もいないわけではないが誤差に過ぎない。

 

結局私は、読まれないだろうってことはうすうすわかりつつも、また別の『ワンス・アポンナ・タイム・イン・ユーラシア』を書いてしまったということだ。

 ま、しかし、一区切りついたのは確かだ。これからはもっとやることを選んで、時間を大事に使っていこう。