不確定申告

tanaka0903

源氏の長者2

調べてみると、いろいろ面白い。 賜姓というと、「源」「平」「橘」。 このうち橘氏は、特に古い時代に、正一位までなった人がたくさんいる。 平氏も皇族の末裔のはずだが、清盛まではほとんど高い官位をもらえてない。 正一位をもらっている源氏は、 854年、源常。 858年、源潔姫。 869年、源信。 895年、源融。ここまではみな嵯峨天皇の皇子・皇女。 897年、源能有文徳天皇の皇子。 913年、源光、仁明天皇の皇子。 993年、源雅信、 995年、源重信、いずれも宇多天皇の皇子。 1094年、源顕房村上天皇の皇子、などとなっている。 この頃までは、天皇の皇子が、直接臣籍降下して、源氏を賜って、 正一位になっている例ばかりだ。 従一位以下は枚挙にいとまない。

正一位というのは、太政大臣相当とみてよい。

思うに、村上源氏が公家として生き残ったというのは、たまたま藤原道長の時代に源氏となって、 その庇護を受けたからではなかろうか。 他の源氏は、武士になるなどして、在地に土着して、自力で生き延びたのであろう。

なお、頼朝は六位蔵人であったから、昇殿を許されていた。 つまり清和源氏であって、殿上人だった。 もし、平治の乱に巻き込まれなかったら、そのまま公卿になっていたに違いない。 また、従三位の、清和源氏源頼政も、むろん殿上人だった。 清盛全盛の当時、頼朝や頼政の任官や叙位、官職にまで、源氏の長者として、村上源氏の誰かが口出しをしていたとは、 ちょっと信じがたいのだけど。