除夜の鐘
除夜の鐘というのは、そんなに古いものじゃないと思うし、 無理に残すほどのものではないと思うなあ。
入相の鐘とか暮れ六つの鐘というものはあっただろう。
除夜の鐘というものができた当初から108回も叩いてたわけはないと思う。 108回なんてただのこじつけに過ぎない。叩きすぎ、うるさすぎなんだよな。
除夜の鐘にしろ年越し蕎麦にしろ、むやみやたらと日本の伝統というものをありがたがるのは決してコンサバティブでも保守でもない。 ほんとうに古くて良いものだけをありがたがるのが正しいコンサバティブというものであり、 そのためには、必ず、それはほんとに古いものなのかどうか疑ってみる理性が必要なのだ。
除夜の鐘はフェイクコンサバティブだと思うね。 あんなものはね、冷静に考えればただの迷惑だったことがわかるよ。