不確定申告

tanaka0903

ドアノッカー

一気に読んだ。 途中から、サスペンスの一種なんだろうなと思った。 最後まで読んで謎解きがなかったので少し困った。

後書きと作者のツイッター も読んだが、 犯人は教えないとのこと。

勝手に推理したことを書くのは、 ネタばらしとは言わないと思うから書くが、 たぶんマモルクンは一種のトロイの木馬みたいなもので、 人が家にいるかどうかを犯人が確認しているのだろう。 マモルクンを買うということは独り暮らしだろうし、住所もわかる。 犯人が自分で宅配すればどんな住人か(性別、容姿)もわかる。 で、最初のほうに出てきたドアの営業の彼氏というのがマモルクンを通販している人物と同一、 というあたりかと思う。

で、さらにまあ余計なことを書くが(後で非公開にするかもしれない)、 こういう猟奇的な推理小説というのは、確かに一気に読ませるのには向いているのかもしれない。 私がイラストを入れラノベを偽装するのと同じで、なんとか読者に読ませよう、 読者を獲得しようという、営業の一種に思えてしまう。 だから純粋に物語の構築ということからは割り引いて評価してしまうとこが自分にはある (作家の仕事とはなんだろう。読者へのサービスか。物語の構成か。それとも文章の巧みさか。全部か)。 最初の女性三人の会話がなかなかリアルで女性作家かと一瞬思わせたところもよくできてると思う。

私の場合、伏線を張るというのは推理小説の一種であり、 推理小説ですと看板を掲げるのは潔くないと思っている(つまり小説なんだから伏線くらいあって当たり前だという)。 で、伏線は必ず回収しないと気が済まないたちなんで、つまりそれが謎解きなわけだが、 謎解きくらいしてあげないと私の小説は難しすぎて読めないだろうという、 強迫観念というか、不安みたいなのもある。

あと、男性作家なのに女性の表現がうまかったり、 女性作家なのに男性の表現がうまかったりとか。 若いのに年寄りの表現がうまいとかその逆とか。 現代人なのに昔のことをうまく書くなとか。 自分にはないものを一生懸命補完して書いてるところとか。 そういうのに加点してしまう傾向があるわな、自分には。 それはたぶん、私小説みたいなのは技術がなくても誰でも一発ネタで書けるってのと、 現代ドラマというものをテレビで見飽きていて反発を感じるせいだと思う。