不確定申告

tanaka0903

時の鐘bot

時の鐘というと川越のが有名だが、昔は浅草寺でもどこでもやっていたはずだ。 今、詳しく調べてないけど、 たとえば四つの鐘というのは実際に四回鐘を叩いていたわけで、 九つだと九回。

九というのは大事な数字だからだというが、 一回、二回、三回は間違って撞いたのかもしれず、 また最初の一回などは聞き逃したりして紛らわしいので、 四回以上九回までということになったのではなかろうか。 鐘というのは実際少なすぎるとわかりにくい。

それでまあ、日の出は卯の刻、日の入りは酉の刻、と決まっているので、 昼を六等分、夜を六等分するという変則的な時刻ができたんだろうけど、 鐘の回数で、明け六つだねとか、暮れ六つだね、などと言い出して、 そっちのほうがわかりやすいんで、自然と「明け六つ」「暮れ六つ」 という呼び名が定着したのだろうと思う。

今の川越の時の鐘は、機械式で、 午前6時・正午・午後3時・午後6時の四回鳴らしているというが、 これはいかにも味気ない。正午は動きようもないのだが、明け六つ、暮れ六つは日の出日の入りに無関係、 午後三時に至っては江戸時代の時刻になんら対応していない。

機械式かどうかってことはあんまり関係ないと思う。 人が撞いた方が情緒があるかもしれんが、 そもそも江戸時代から和時計というものがあったのだから、 現代の技術をもってすれば、昼と夜をそれぞれ六等分して鐘を撞くくらいの仕掛けを作るのは簡単だろう。 そのくらいのことをなぜやらないか。

寺が夕方くらいに梵鐘を撞くけれど、 あれも六回どころでなくずっーと撞いている。 しかも毎日ではないように思われる。 気の向いたときに撞いているのではなかろうか。 入相の鐘、というらしいな。回数決まってないのかな。

でまあ、 時の鐘botというものを作ったのだが、 いろいろ考えてみるに、 明治政府が太陰太陽暦を廃止してグレゴリオ暦にした、 その直前までの暦が天保暦というもので、 いま旧暦と言っているのはその天保暦の規則をそのまま延長したものであるらしい。 だが、完全にそのまんまではなく、 天保暦では京都を基準にしたのを今は明石を基準にしている。 明石の日の出日の入りと、京都の日の出日の入りと、東京の日の出日の入りでは当然違ってくる。 緯度でも経度でも変わってくる。 日本で一番正確に天体観測されているのは明石であろう。 ならば、明石を基準にせざるを得ない。

緯度経度が変わると朔が変わる。中国と日本は経度がだいぶちがうんで、朔も違い、 従って春分やら元旦やら月の大小やら、閏月をどこに入れるかも変わってくる。 どこか基準を決めないわけにはいかないが、 日本で一番無難なのは明石であろう。 結局我ら民間人は理科年表かなんかを基準にせざるを得ない。

でまあ、 旧暦2033年問題 というのがあり、 当面botのプログラミングにはなんら問題ないのだが、 20年後くらいにはそろそろ天保暦をそのまんま使い続けていてはまずいってことになる。 閏月をどこに入れるかなんてことは一意ではないから誰かがえいやっと基準を決めちゃえばいいんだが、 それは日本政府なのか民間なのかとかそのへんがややこしいことになる。 でも問題といってもただそれだけなんで、旧暦を使い続ける需要があれば自然と決まるだろう。

旧暦は使ってみると非常に便利なもんで、 特に和歌なんか調べたり自分でも詠んでたりするとどうしても旧暦じゃないと具合が悪い。 五月晴れとか五月雨とか端午の節句とか菖蒲湯とかそのへんの感覚も現代では完全に狂ってしまっている。 その気持ち悪さの解消にはなる。

増上寺は朝と夕方の5時に6度撞くらしいね。

でまあ、日記や書簡なんかで昔どんな感じに日付を入れていたかなんだが、 私としては吾妻鏡にそろえたいところなんだけど、 干支日というのは間違えやすいもので、実際吾妻鏡も明らかに何箇所か間違えている。 間違えやすいとはいえ、逆にいえば干支日というのは60日周期できちんと大昔から決まっているものなのだから、 正確な日付を知りやすい。

一方で干支年なんてものは書いても書かなくてもどうでも良い気もするのだが、 年号は一年の途中で改元されたりするから、やっぱり干支年もあったほうが便利だろうというので、 結局両方入れたりした。

また、吾妻鏡には月の大小まで書いてあり、 当時の公家の日記なんかも読んでみたいところだが、そんなことまで必要かなと思いつつ、 入れてみた。 とにかくなんでも入れてみたのでごちゃごちゃしてしまった。