不確定申告

tanaka0903

2011-08-13から1日間の記事一覧

平八郎と山陽

見延典子『頼山陽』によれば、山陽が大塩平八郎に初めて会ったのは、 文政7(1824)年3月6日、平八郎の八幡町にある役宅を訪れる。同じ年、9月5日にも再び大阪へ行き、 先に平八郎に見せられた「霜渚蘆雁図」という掛け軸を所望して、もらっている。 1827年9月…

水西荘

頼山陽が香川景樹といつ知り合い、どのように交際をしていたか、いまいちわからない。 香川景樹は1768年生まれ、頼山陽は1781年生まれだから、景樹のほうが13歳も年上である。 しかも、景樹は山陽の母・梅颸の和歌の師匠であるから、山陽と景樹は、文人どう…

喀血歌

見延典子『頼山陽』を読んでいると、天保元(1830)年、 正月早々香川景樹から届いた薩摩の牛肉を食べると、 などと書かれていて、これははて、書簡や日記などにそのような記録が残っているということだろうか。 同じ年、7月、広島に帰省していた間に京都で地…